お金を貯めるのも大変だが、お金の使い方を学ぶことはもっと大変だということがよく言われます。
私自身も、もともと「如何にお金を貯めることができるようにするか」という問題に向かって様々な工夫や試行錯誤を重ねてきました。
そして、資産形成が進んでいくと、いわゆる購買力が少しずつ高まってきました。
貯金額、資産額というのは、すなわち、現在における購買力を示しています。
この購買力を用いて私たちは普段購買活動を行っているわけですね。
そして、購買力が低い人というのは、購買活動の選択肢が狭まっている、ということを意味するため、この意味で、貯金額、資産額が低い人というのは、選択肢がなく、自由度が低い状態にあると言えそうです。
これは原則論として、貯金額が10万円程度しか無い人が、30万円を支払わなくてはいけない商品を買うことができないということです。
このような人は、購買力が無いが故に、30万円の価格の商品を買うことができず、その商品の効用を得ることができないため、この意味で人生が制約されています。
しかし、実際には、貯金額が現状10万円程度しかない人が、30万円の価格の商品を購入するための手段というのは実はあります。
どうするかというと、現在の購買力が低いために、購入ができないのであれば、その状況から、現在の購買力を高めてしまうという方法です。
方法としては、まず親からお金を出してもらうなどの何らかの贈与行為が始めに思いつきますが、これは恵まれた人のみが使える方法なので(残念ながら私が使えないので)、それ以外の方法を考えます。
具体的には、クレジットカードを使う、分割払いを用いる、カードローンを用いる、友達からお金を借りる、等の方法です。
これらはいわゆる、金融を用いる方法です。
金融というのは、定義を調べてみると、「異時点間における、購買力の移転」を意味するそうです。
いわゆる借金をするという行為は、まさに、未来の時点における購買力を現在の地点における購買力に移転する行為なのです。
いわゆる、信用がある人というのは、このような金融取引を成立させる力のある人であり、すなわち、自分の「未来の時点における購買力」を金融取引の相手方に示すことができる人のことを指します。
例えば、公務員など、安定した給与をもらえる職種についている人は、それだけで「公務員の棒給表に依れば、この人は●歳の時点でいくらもらえるだろう」ということを相手にある程度計算させることができます。解雇リスクも低いです。
逆に自営業者の人の場合は、利益が安定していないため、「今はこのぐらい稼いでいるらしいけれども、来年以降はどうかな?」と相手に思われてしまい、「未来の時点における購買力」を低めに換算されることとなります。
したがって、このような自分の「未来の時点における購買力」を金融取引の相手方により高めに示すことができる人というのは、たとえ現在の貯金額がたいしたことが無くとも、上記のような金融取引を成立させることができるため、これを用いることによって、現在における購買力も高めることができるのです。
このように、金融取引を用いることによって、私たちは現在の資産額などに依らなくても、自分の購買力を高めることができるわけです。
資本主義社会においては、商品の売買取引が大量になされる必要があるところ、商品の売買取引を行うためには、そもそも無い袖は振れないのですから、買い手側の購買力が必要です。
したがって、よりたくさんの売買取引を可能にするためには、現在の購買力を高めてしまう取引である金融取引が大活躍するわけですね。
最近はクレジットカードなどをはじめとして、普通の個人であっても、金融取引を用いることが可能になったので、その意味で現在における購買力を高めやすい環境が整っており、自由度が高まった、言えそうです。
ところで、上の方で、金融というのは、「異時点間における、購買力の移転」を意味し、いわゆる借金をするという行為は、まさに、未来の時点における購買力を現在の地点における購買力に移転する行為であると書きました。
これはどういうことかというと、金融取引によって、現在における購買力を高めることができるが、その分、未来の時点における購買力は制約されてしまうというデメリットがあるということです。
しかも、労働所得の高さやその安定性によって、未来の時点における購買力を取引相手に示した人の場合、例えば、公務員の人の場合は、その未来の時点においても現在と同様に公務員として働き続けることが基本的に想定されるわけです。そうしないと、借金の返済ができないためです。
もちろん、何かしらの方法で現在と同じような働き方をしなくても借金の返済ができるように努力すれば問題は無いのですが、しかし、その方法を思いつかず、実際に実行もできない場合は、今と同じ働き方をし続ける必要があり、これによって人生が制約されてしまうリスクがあるのです。
よく言われるのは、住宅ローンを35年間組んでしまったがために今の職場を辞めることができない人がいるということです。今の職場を辞めて他の職場においても同じだけ稼ぐ力がある人は大丈夫でしょうが、そうでは無い人は、安易に転職もできず、同じ職場で働き続ける必要が出てくるのです。これは金融取引によって現在の購買力を未来の購買力から移転させたことによって未来の自分の自由を制約してしまった典型的な例です。
したがって、金融取引を行う際には、このようなデメリットを考える必要があります。
ところで、上の方で、30万円の価格の商品を購入する場合の例を挙げましたが、そもそも、この30万円の価格の商品というのは、どの程度効用があるのでしょうか?
もし、30万円の価格の商品の価値が同じく30万円程度と評価できるのであれば、その売買取引は買い手側から見て損はありません。
しかし、30万円の価格の商品であるにもかかわらず、実際には15万円程度しかなさそうだったり、逆に45万円ぐらい価値ある物だったりすることもあるわけです。
例えば、本当は、15万円程度の価値としか評価できないのにもかかわらず、30万円の価格を相手に提示されて、ローンを組んでこの商品を購入してしまうということもあり得るのです。
そうすると、バランスシート上は、資産の欄に15万円分の資産をおきつつ、負債の欄に30万円の借金を置くことになります。これによって、取引を行った瞬間に15万円分の債務超過が確定します。
この15万円分の債務超過の分は未来の自分がお金を稼ぐことによって借金返済をしなければいけないということがこの時点で確定するわけです。
売り手からしてみると、仕入れ値にも依りますが、15万円の価値しかない商品を30万円の価格で売ることができたので、利益が出て嬉しいでしょう。
そして、買い手側から見ると、商品に魅力があると感じたのもあるでしょうが、「ローンを組めば買えるから買ってしまった」という気持ちが少なからずあるでしょう。
このような状況がよく見られるのは、住宅ローンを組んで持ち家を購入したパターンです。
マイホームを持つことが一人前の人間としての証だという気持ちが強い人は、おそらく、その住宅そのものは勿論、「素敵な外見のマイホームを手に入れて一人前となった自分自身」を購入したと言うことになるでしょう。
しかし、「一人前となった自分」を金融取引を用いて、購入した代償は大きい、ということもあり得るのです。
現在の自分では身の丈に合わないのにも関わらず、未来の自分の選択肢を犠牲にして、商品を購入しているわけです。
そして、マイホーム市場はそのようなパターンが非常に多いという落とし穴があるということでしょう。
逆に、30万円の価格の商品であるにもかかわらず、その価値が45万円もあるということが目利きできる人は、金融取引を用いることによって、大幅に利益を取ることが可能になります。
このような意味で、購買対象はそもそも価格面が妥当なものといえるのか、という視点をその商品を購入できるのか以前の問題として検討する必要があります。
購買力がある人はさまざまな価格の商品を買うことが可能になりますが、自由度が高まれば高まるほど、購買対象の選定の力を高めておく必要があると言えそうです。
そして、そんなことはお金持ちになってから考えれば良いことだと考えている人がいるかもしれませんが、しかし、そのような事はない、ということです。
すなわち、現代社会においては、個人がさまざまな金融取引を用いることが可能になっており、貯金額が10万円程度しか無い人であっても、未来の自分の選択肢を犠牲にして、現在における購買力を上げることが容易です。
すなわち、お金持ちのように、購買力を高めてから購入対象について真剣に考えるようにすれば足りると考えがちですが、現実的には、普通の人でもある程度購買力を高めてしまうことが可能であるということです。
そのような現代社会においては私たちは生きているのですから、今手元に大した財産がないという人であっても、「現在における購買力だけはある」という状況をいくらでも作り出すことができるというわけです。
したがって、お金持ちになる前の段階で、いや、今は手元に大した資産がないからこそ、お金の使い方について真剣に考え、購買対象は価格面において妥当だと言えるのか考える習慣を身につけるようにすることが重要になってくるでしょう。