自己評価
と
他者評価
というのは、しばしば食い違いがあったりします。
自分では、
「今日の作品は、会心の出来栄えだ!」
などと思って、
自信満々にしていたのにも関わらず、
いざ、誰かに感想を求めてみても、思っていたほどの感想が得られなかったりします。
そして、
「あれ?」
と首をかしげるわけです。
これは、逆のことも起こります。
自分では、
「これはちょっと駄作かも?」
「今日はちょっと調子が良くないな」
などと感じていても、他人からは、
「面白い」
とか
「興味深い」
といった反応をいただくこともあります。
このように、
自分では「駄作」と思っていても意外と刺さることがある
のですね。
このようなことが起こってしまうので、
あなたが何か世の中に対して、刺さるようなものを作りたいと考えている場合には、
とにかく大量に作ってみる
というのが最善手になることでしょう。
大量に何かを作っている最中に、いくつもの「駄作」が生まれるかもしれませんが、
「駄作」が生まれてしまうことを恐れる必要はありません。
大量に作っている過程で、大量の「駄作」と一部のヒットが生まれることもあるのです。
そして、そのたった一部のヒットによって、今までの努力や苦労が報われることもある物です。
むしろ、一番よくないのは、
「駄作を生み出すくらいならば、何も作りたくない」
とか
「成果を出せない可能性があるくらいならば挑戦したくない」
などと考えてあなたが歩みを止めてしまうことです。
大量の物や作品を生み出すということは、普段からそれを継続する必要があるため、いわゆる継続力が必要になります。
そして、この継続は、
「こんな内容だと微妙かな……」
といった高すぎるハードルの設定によって途絶えてしまう可能性があります。
例えば、日記などを書こうとしても、
「今日はもう疲れたし大した内容を書けなさそうだからやめよう」
と思うと書けなくなります。
そして、いつまでも、自分が納得できるような文章が思いつくこともないままにいつのまにか挫折することにつながるでしょう。
しかし、その時の自分にとって価値がなさそうな内容であっても、後から見直すと思わぬ価値を見出すことも可能だったりします。
有名な画家であっても、死後にようやく評価された人もいるように、
作品への評価というのはの内容だけではなく、タイミングも重要になる場合があるため、
「これは大したクオリティではない」
とあなたが感じたとしても、
とにかく大量に作ってみる
という行動が大事になってくるでしょう。