私にとって一人で本を読んでいる時間というのは落ち着くことができるので本当に良いと考えています。
もともと、一人でいることの方が、他人とわいわいガヤガヤするよりも好きなので、家に何日も引き籠もっていても究極的には支障はありません。
しかも、本さえ調達してしまえば、本を書いている人とも実質的に出会うことができるため、引きこもりコースでも気持ちの上では基本的には問題なかったりします。
一応、最近はオンラインで他人との繋がりを持つことも可能なので、その点も便利な世の中になったなと思い、感動しています。
しかし、自分の限られた、有限の人生の中で、自分を飛躍的に向上し、加速させるためには、やはり家の中にいるだけでは足りないのではないか、と思うときがあります。
画面の向こう側の人とコミュニケーションをとることで一定程度の情報を得ることも可能ではあるものの、対面と比べるとどうしても情報量が落ちやすいです。
情報量が落ちると言うことは、自分に与えられる刺激の量も減るということです。
私は、誰かが飛躍的に変わるときというのは、自らの意思で強い決意を持って行動しようとしたことよりも、周辺環境、外部からの刺激を高めた場合の方が効用が高いと思っています。
この外部からの刺激というのは、その人にとっての非日常的な刺激の量が多ければ多いほどその人に対する影響が強いと考えられます。
いまや、グーグルアースで世界中の地図において写真を見ることが可能なので、旅行なんて行かなくても良いとも考えられるにもかかわらず、旅行を楽しんでいる人というのは未だに多いです。
これは、実際に現地に行った際の、温度、日射、風量、匂い、など、視力や聴力以外の刺激も受けることができるため、バーチャルで旅行に行くよりもやっぱり生身の旅行の方が刺激的で楽しいということなのかもしれません。
不動産を購入したり、賃貸物件を探したりする場合にも私は結局現地に行きます。現地に行くことでその物件の本当の周辺環境がわかったりすることがあるのです。
このように、より多くの情報量を求めて、現地へ赴くということは重要だったりします。
また、他人とのコミュニケーションにおいても対面の関係はオンラインを通じたコミュニケーションよりも情報量が多いです。
情報量が多いと言うことは、その人から自分に対する影響力も高まると言うことでもあります。
以上のように、外部からの刺激をよりよく受けるのは、やはりオンライン上ではなく生身の体験が大事になってくるのだと思います。
そして、私は上記にも書いたとおり、人が変わりたいと願ったときには周辺環境や外部からの刺激による方が、自分の自由意志や一時的な決意よりも決定的に重要であるという考え方を持っています。
したがって、周辺環境、外部からいかなる刺激を自分を受けるべきなのか、という点についてより戦略的に、主体的になる必要があると考えています。
そして、より多くの外部からの刺激を取り入れたいと考えた場合、その対象についてはオンラインのみならず五感で刺激を受けることができる機会を得られるようにします。
一方で、重要性が低いと思われるものに関してはオンラインで完結させてしまうことで、時間コスト、空間コストを削減します。
すなわち、より重要性が高い物にフォーカスして、外部からのより強い刺激を積極的に取り入れるように自分の周辺環境をデザインするという意識が重要になってくるわけですね。
よく、用件のために電話はしたくないメールで言いじゃないか、などの言説も世の中にありますが、これは結局重要性に応じて情報量などをコントロールするという視点で見れば、「場合によって使い分ける」という視点が必要になってくるのだと思います。
私たちの人生は有限なのですから、重要ではないことにまでエネルギーを取られている場合ではないわけです。
重要な物にはエネルギーを全力投球して、重要ではないものにはなるべく余計なエネルギーを取られないようにする、という基本姿勢を大事にするべきなのでしょう。
そのため、私にとって「おうち時間」という動きのない居心地の良い空間も良いのですが、それに安住するばかりではなく、自分にとって重要な物に関しては何が何でも手に入れるという強い気持ちを持っていつでも動き出せるようにしておくことも重要なのです。
「おうち時間」というものに対してはできる限り省エネモードとしておいて待機しつつ、重要な事項が目の前に来たら何が何でも取りに行くためにエネルギーを全力で尽くすことが大事になるのではないか、と思っています。
これは、生きていくための活動としての「生活」という日常的な営みについては、なるべく時間のコストもかけたくないし、空間のコストもかけたくないし、エネルギーのコストもかけたくないという話になりそうです。
私が経済的自由の達成を目指しているのは、生活という日常的で発展性がそこまでない物を維持するためだけに、すなわち私の人生にとって、大して重要でも何でも無いことのために、私の寿命、有限な時間を勤め先における労働時間に費やさなければいけないことに対して強く問題視しているためです。
ただ単に生きていくということのためだけに何故貴重な資源を費やさなければいけないのでしょうか、ということです。
本当はもっと重要なことのために、時間、空間、金、エネルギーは費やされるべきなのです。
そのもっと重要なことと言うのが人にとっては仕事を通じて得られるものかもしれませんし、家庭を通じて得られるものなのかもしれません。そうであれば、非常に良い話だと思います。
「おうち時間」のみでこれを得ることができる人もいるのでしょう。
しかし、その人にとって重要なことというのはそれこそ個性が出てくるところであり、千差万別です。しかも、同じ人であっても、時と場合によってこれが変わる場合もあるところが難しいところです。
その際にいつでも、切り替えを行う事が可能な体制を創っておくことが重要ではないでしょうか。そのためにも、自分を動かす、自分を変えるための確かな技術・メソッドを身につけるという意味で、メリハリを持って自分の周辺環境を自分の力でコントロールすることについて今のうちに慣れていくことが重要だと思っています。