FIREムーブメントがメディアで取り上げられるようになってからしばらく経ちました。
ところで、このFIREムーブメントが何故流行ったのかということとともに頭の隅で考えるのは、
実家暮らしでFIREするという方向性を模索している人が思ったよりも少ない
ということです。
考えてみれば当たり前なのですが、
実家に寄生すれば勤め先で労働とかしなくても普通に生活できる場合の方が多いじゃん!
という話ですよね。
実際にFIREに関して書籍を出している方の中には実家暮らしをしている方もおられるようで、
「それっていわゆる子ども部屋おじさんと何が違うの?」
と言われている人もいるようです。
そして、この「実家暮らしFIRE」についてですが、私は全く目指していません。
↑わざわざこんな記事を書く人物ですから、これを見て「この人は親と仲が良さそうだ」などと思う方は少数派でしょう。
むしろ、親との適切な距離感はどこなのか模索している状態と言った方が正確かもしれません。
実家暮らしをするということは確かに生活費を減らせる要因にはなります。
しかし、それは飽くまで生活を貨幣経済というネットワークに頼っていない分につき生活費の数字を減らせているだけであって、家族という人的ネットワークに生活をその分依存しているのです。
そして、貨幣経済というネットワークにおいてお金という汎用性の高い通信手段を手に入れるために何らかの形で誰かに自分の労力を支払わなくてはいけないことが多いように、家族というネットワークを使用するのも事実上タダではなく何らかのコストがかかる場合が多いです。
このコストを何の精神的抵抗なくして支払うことが可能な方はこの家族という人的ネットワークに頼るのがその人にとっての幸せをもたらすのでしょう。
しかし、残念ながら私はそこまでは言いがたいという感触です。
更に言えば、「自分の年収は仲の良い友達5人の年収で決まる」とも言われるように、人的ネットワークの濃い物同士はその思考のOSが同期しやすいです。
これは周りの人によって自分のOSがアップグレードすることのできる可能性があるのと同時に、むしろ自分のOSが周りの人によってダウングレードさせられる危険性を持つのです。
それに加えて、いわゆる「毒親」と呼ばれるような人たちに精神攻撃をされたりしている人もいるようです。
いわゆるDVを配偶者から受けているのに家から逃げ出せないという状態の人もいます。
彼らは、その生活を家族という人的ネットワークに完全に頼っており、貨幣経済というネットワークを使用できるだけのお金を有する手段を持っていない(=稼げない)わけですから、事実上その家から抜け出せないということが多いという話になります。
このような人たちは、ブラック企業で労働しながらもでも苦しくても辞めることができない、と嘆いている勤め人と事実上立場は変わらないと私は考えています。
就活が成功してどこかの勤め先に就職できたからと言って、その勤め先がなければ稼ぐ手段が他にない人は決して自立しているとは言えません。
何故ならば、貨幣経済というネットワークに使用できるだけのお金を調達することができる収入源が一つしか無いのですから、そこに依存しており、相手から切られれば生活が破綻してしまいます。
DVと同じように意に沿わぬ労働を勤め先から指示されても事実上逆らえないでしょう。
そのようなリスクがあるわけです。
これも、運良く自分にとって「この勤め先で働くのは楽しい!幸せ!」と言えるようなところに勤めることができた人は実家暮らしで楽しく暮らしている人と同様に幸せな状態を保てるわけです。
しかし、そのような「運の良さ」に恵まれている人ばかりではない、というのが現実だと思います。
このように考えていくとFIREムーブメントというのは「自分はこの人のためだったらこのような労力を払っても良い」と自発的に感じられるような人間関係のネットワークを自分で主体的に創りたいと強く願っている人が多いことの表れなのかもしれません。
すなわち、自分が好む人間関係の構築の選択肢を広げたいという考えですね。
FIREというとお金の話と考えがちですが、やはりその裏には「人間関係」の問題や「家庭の問題」も潜んでいそうだと改めて感じました。