「才能を認めてくれる社会に生まれたのは幸運のおかげで、自分の手柄ではない」

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タイトルは白熱教室で有名なサンデル教授の書籍からの引用です。

これを読んで、本当にそうだな、と思います。

ここでいう社会というのは色んな社会がありうると思います。学校であったり、職場であったり、地域社会であったりと。

格差社会などということが日本でも言われ始めてからもう何年も経っていますが、それと同時に「今のあなたの境遇が悪いのはあなたの努力が足りなかったせいだ」という自己責任論というのも蔓延してきています。

欲しい成果を得るためにはやるべきことをやらなければならない、というのは確かにその通りではあります。

しかし、個々人の個別の能力があると言っても、その能力の価値がそもそも社会に認められていなければならないという前提が出てくることがよくあります。

例えば、ドラえもんののび太の特技は①すぐに眠れること、②あやとり、③射撃とのことですが、このような才能があってもそれを認めてくれる社会に彼がいなければ、彼の境遇は良くなりようがないわけです。

のび太は学校のテストで0点を取ることも多いようですが、彼の所属する学校という社会では、このテストの点数を取ることができる能力こそが重要だとされているわけです。

逆に言えば、この能力に欠けている物は「落第者」のような扱いをされ、優秀ではない人としての角印を押されてしまうということでもあります。

また、学校という所は、最近は変わってきたところもあるかもしれませんが、高校生までは授業に出席すること=真面目に勉強している人という評価の基準になっているようで、そもそも授業に出席しない人は低評価になるというシステムになっているようです。

たまに、授業に出席しないくせに高得点を取ることができる人もいるので、そのような人にとってはこの評価の仕方は意味不明そのものなのですが、授業に出席しない人は何故か「不登校」として、学校という社会から低評価の対象となります。

私は以前から、その学校に通う価値がなければ不登校でも実際全く問題は無いという考えを持っていますが、これは授業に出席しなくてもテストの点数を取ることは理論上可能であり、そして、現実的に私が取ってきたからです。

そして、私は価値のない授業には基本的には出席しないという姿勢でこれまで生きてきて、しかし、それでも一応就職はできています。

これは、授業に出席することという点では私は落第者であったものの、テストで点数を取るという点においては能力はあったことから、その才能が就職先や進学先に認められてきたという「幸運」によって、今の年収や資産額があるわけです。

このように、才能を認めてくれる社会に生まれたり、そのような社会に私がポジションを取ることができたのはまさに幸運のおかげでしょう。

個人としては、自分の才能を認めてくれる社会に何らかの方法で移動することが重要であって、自分の才能を認めてくれない社会は早々に切り捨てるという方法論を採るしかないのかもしれません。

美紀のプロフィール
夢見がちな社会不適合者
mikimiki

社会人6年目かつ会社経営者(法人4期目)。
投資歴7年。タロット占い鑑定歴12年。
都内在住、マッチングアプリ上位0.X%の人気女性会員。
フォーチュンレディ (Fortune Lady:幸運な女性)

かつて不登校になり片っ端から出席点を落としまくる。高校生の頃は家出経験も。
経済的自由のため、新卒で年収1000万円overのトップファームへ。
手取り月収貯蓄率90%overを達成。
ビジネスでは、ファーム内で全パートナー分を凌駕する新規顧客獲得の営業実績を持つ。
20代で役員のオファーを受け就任。

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INTJ型女性による皆既日食への歩み
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