始めこそyoutubeを見ない生活に対する禁断症状が出てきましたが、
気がついたら2週間近くyoutubeを見ていないことに気づきました。
どうやら、youtubeは私の人生にとって必要不可欠な存在ではなかったようです。
重要なのはyoutubeを見ていた時間を何に使っているのかという点
youtubeに限られず、私たちは私たちの人生に必要の無いものに対して無意識に時間や認知能力を吸い取られてしまっているのではないかと思います。
特にyoutubeは動画をあげる側の人間にならなければいけないのにもかかわらず、動画を見る側、「消費者側」の人間になってしまうと、動画をあげる側である「生産者」に時間を吸い取られてしまいかねません。
facebookなどもしかりです。
特に物質的な物自体ではなく、いわゆるコンテンツにおいて「消費者」側になってしまうと、油断すると自分の人生が「生産者」側の影響を受け身で受け続けることにつながってしまいます。
これは、油断すると自分の人生が生きられなくなるということにつながります。
「消費者」となるべきは、スマホなどの物質的な商品に限られます。
ゲームなどに対しても私は似たような目線で見ています。
いわゆるソーシャルゲームは課金をすることによってより効率よく強くなることができますが、
その強さが発揮されるのは基本的にゲームの中であって、広く考えてもそこからつながるのはオフ会の相手などに限られてくると思われます。
ゲームの中で一生懸命に生きても、ゲームのサービスが停止されてしまったらすべてが消えて無くなってしまいます。
私も例えば自己紹介などの場で「最近は●●というゲームにはまっています」と話したこともありますが、これって飽くまでもそのゲームの「生産者」ではなくて「消費者」としての立場になります。
「消費者」として●●にかかわっているということって、本当に自己紹介になっているのでしょうか?
他の自己紹介の要素もしかりです。
学校名や、勤務先などを自己紹介の際に話す人もいますが、
これって本当に自己紹介になっているのでしょうか?
その学校名や勤務先は確かに素晴らしい物ではあるとは思われますが、
その人がこれを作ったわけではないわけです。
たまたま、その学校に入学することや勤務先のメンバーになることを「許可」され、許されただけではないでしょうか。
難関資格を手に入れた人も同様で、その難関資格を突破したと書けばいいように聞こえますが、他人が用意した課題をクリアすることによって、その資格を取得した旨を表明することを「許可」されただけではないでしょうか。
●●卒という肩書きも同様です。
もちろん、入試を突破することや就活を成功させることは人生においては大事な取り組みであるとは思います。
しかし、それ自体を自分自身の自己紹介の主たる要因にすること、アイデンティティにするべきではないと考えています。
より自己紹介にふさわしい物・ことというのはその人自身の個性が反映された物、「生産者」としての作品や商品ではないでしょうか。
話を戻すと、「消費者」としてかかわっていたyoutubeから離れることによって、私はそれによって空いた時間を「生産者」として、何らかの物や作品を作ることに投じたいと考えています。
もちろん、生産のためのアイデアはボーっとしているだけでは手に入らないので、仕入れの作業や勉強に使いたいと思います。
この「生産者」となる過程において必要になる時間やお金や気力は、投じることによって私のアイデンティティの醸成、自己実現に資する物になると考えられます。
したがって、私にとってこの目的のために使用するお金というのはROI170%を実現可能なお金であって、貯蓄に回すことなく積極的に投じなければならないお金であるということになります。
今回はyoutubeアプリをスマホから消すという誰もが思いつく極めて単純な作業を試みましたが、思いの外、自分が今後行うべき行動についての考察がはかどりました。
私の方針としては、今後は、「生産者」として、自分の自己実現に資する活動に自分の時間、お金、気力等を全力で投じたいと考えています。
できることならば、自己紹介の代わりにこのブログを見せることによって私のことを誰かに知ってもらう事ができれば良いなと考えています。
これらの方針を軸に今後は仕事への取り組み方も考えます。
なお、念のためですが、「消費者」としてかかわっていることを私は問題視しているのであり、「生産者」としてyoutubeにかかわることを否定するわけではありません。