【第1139号】人はそもそも「できるかもしれない」と思った夢を抱くもの

リフレーミング
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という言葉を聞いたとき、

「実現不可能な物」

とイメージする人もいるかもしれません。

しかし、多くの人はそうではなく、

「かなり頑張らないと達成はできないが、しかし、不可能ではない」

というレベルの願望を夢として抱いていることでしょう。

例えば、

「司法試験の勉強をしている人は、自分が試験に合格できる可能性が1%でもあると思っている人だ」

と言われることがあります。

これは私自身も実感として感じます。

「そもそも、自分が司法試験に受かる可能性が0%である」

と認識している人はおそらく真面目に勉強なんてしようとはしないでしょう。

0%なのに勉強なんてしても時間の無駄だと感じるでしょうし、

「頑張れば受かるかもしれない」

という期待がどこかにないとモチベーションが続かないからです。

また、最近ではFIREムーブメントと呼ばれるものもありましたが、

これも、

「すぐに実現するのは難しいかもしれないけれども、時間をかければFIREできるかもしれない」

という期待を抱くことができた人が取り組むことができたはずです。

「計算してみたけれども自分には無理っぽい」

と感じた瞬間に

「やめよう」

とか

「興味ない」

という反応となり、そもそも夢として思いを抱くことが出来なくなります。

このように、

人はそもそも「できるかもしれない」と思った夢を抱くもの

でもあるため、

「自分の今抱いている夢がなかなか叶いそうにない」

と感じてどこかストレスを感じている人は、

完全に諦めきれない理由が恐らくどこかにあるということでもあります。

そのため、その夢を抱くにあたっての、

大きな試練

にぶち当たっていると考えるべきでしょう。

人生全体で見れば、

「如何にして大きな試練に立ち向かったのか、それをどうやって乗り越えたのか」

というのは立派な経験値になります。

もちろん、その試練に耐えきれずにいったん撤退を余儀なくされる人もいることでしょう。

しかし、その夢はどこか諦めきれず、30年後に再挑戦した、というパターンも存在します。

良くも悪くも、

人はそもそも「できるかもしれない」と思った夢を抱くもの

であります。

直感的に、どこかに勝算があると考えているからこそ諦めきれないのです。

「自分の今抱いている夢がなかなか叶いそうにない」

とどこかストレスを感じてしまうこともあるかもしれませんが、

それ自体

大きな試練

にぶち当たっており、今の自分が試されていると考えると良いでしょう。

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