現在は令和6年ですね。
思えば、平成が終わってから6年目になったのです。
私自身は平成生まれなので、実は、平成のすべてを知っているわけではありません。
しかし、物心がついてから平成が終わるまでの期間を生きているので、その限りで、平成という元号が用いられていた時期に対する私なりの印象が頭の中に形成されています。
その印象というのは一言で言えば、
「昭和の空気がまだ残っている」
という感覚でした。
平成という元号が用いられていたこともあって、時代が変わった、と認識している人もいるかもしれませんが、
どちらかといえば、
「昭和の延長」
と呼べるような空気や文化の方が支配的な印象がありました。
「昭和から時代が変わっているようで、なかなか変わらない」
「昭和から時代が変わりたがっているようだけども、何かが足りない、契機が出て来ない」
というイメージがあったのです。
では、ボヤっとした表現であるこの「昭和の空気」とはつまるところ何なのかといえば、
「汚さの許容」
「大らかさ」
だったのかもしれません。
例えば、いわゆる成金と呼ばれる人たちに対するイメージですが、
「どこか汚い人たち」
というイメージが支配的だったのではないでしょうか?
それは、代表的なところで言えば、
「稼ぎ方」
とか
「お金の使い方」
によく表れていると感じます。
腹が太っている上に顔が不細工な資本家が金を持っているという理由だけでやたらと威張っているという「金持ち=嫌な奴」イメージは、これに近いかもしれません。
今もなお、そのような成金系の人を見かけることがありますが、
「雰囲気が、オーラが、どこか汚い」
と感じることが私自身も時折あります。
言語化が難しいのですが、ある程度年齢が若い人であっても、どこか汚い空気というか「昭和の残り香」がするのです。
おそらく、彼らは、昭和の文化に染まった人たちの影響を強く受けているのでしょう。
しかし、一方で、最近は新しいタイプの富裕層も出てきています。
彼らの特徴は、一言で言えば、
「スマートで、清潔感がある」
ということです。
稼ぎ方もスマートさを感じることが多く、お金の使い方もメリハリがあり洗練されていて、周りの人に不快感を感じさせないような所作を身に着けていることも多いです。
また、最近は特に男性に多いですが、顔やムダ毛を始めとする美容に気を使っている人も多いです。筋トレをすることは当たり前という人もいます。
これはもしかしたら、女性が男性を選ぶ基準の中で「容姿の良さ」というものがますますウェイトを増していることと関係があるかもしれません。
社会進出し経済的自立をしている女性たちからの目線として、ある程度稼いでいたとしても、それだけでは足りず、「清潔感」まで求められていると感じた彼らが必死に努力をしているのかもしれないです。
このような流れがあり、
「より綺麗なモノ」
が社会から求められ、
「汚いものの淘汰」
が静かに求められてきたのかもしれません。
何かきっかけがなければ、このような「昭和の残り香」がなかなか退場することはありませんでした。
しかし、そのようなきっかけが令和に入る頃にはどんどん提供されるようになってきています。
そして、それをきっかけに一気に社会の空気が一新されてきています。
そのようなきっかけのうち代表的なのがコロナ禍だったのかもしれない、と今では感じます。
このように、今後は、何らかのきっかけ、事件、厄災などによって、
「昭和の残り香」の淘汰が静かに、しかし確実に進んでいく
のではないか、時代が徐々に一新していくのではないか、と予想しています。