「何かを成すためには努力を継続しなければならない」
ということはよく言われますよね。
その一方で、
「努力を行った者が報われるとは限らない」
とも言われますし、
「しかし、結果を出している人はみんな努力している人である」
とも言われます。
このように努力について語られるたびに、
「努力って無駄になることがあるのかよ……」
とげんなりしてしまう人もいるかもしれません。
そういう人は、普段の感覚から、
「頑張っているのだからその分見返りがあってしかるべきだ」
と考えているのでしょう。
これは、
「私は平日は毎日勤め先に通って労働しているのだから、その頑張った分毎月給与がもらえるのは当たり前だ」
というサラリーマン、勤め人の発想に近いのではないかと感じます。
このような状況にさらされた人は、努力した分、苦労した分は、その分すぐに見返りがあって当然だと考えやすくなります。
しかし、本来、「努力すること」というのはリスクテイクしていることでもあります。
例えば、
「頑張って勉強をする」
ということを見ても、
①勉強時間
②勉強に必要な教材をそろえる費用
③勉強を行う気力
④勉強を行う場所
などを事前に準備する必要があり、その分、一定の負担があります。
しかし、このように「努力すること」を行っていたとしても、例えば、勉強の成果が試験で発揮されるとは限りません。
また、勤め先などで昇給する、出世するという保証も特にないです。
「望んだ成果が出ることは保証されない」
ということを前提に、「努力すること」のために①~④のコストを支払わないといけないのです。
このような構造が「努力すること」という行為そのものにあるため、何かに挑戦しようとする人は、その努力を行うことに対して、
「これは適正なリスクを取れているのか」
と気にせざるを得ません。
例えば、
「どうしても今の状況から抜け出したいから金が欲しい、稼ぎたい」
と悩んでいる人が、金儲けのセミナーなどを行っている人に対して、
「あなたの言うとおりにやれば、私は必ず儲かるんですよね???」
とやたらと保証を求めます。
しかし、大抵の場合は、
「そうなるとは限らない」
と講師の側は答えざるを得ないでしょう。
そのように答えない講師は逆に危ないと思います。
質問している側は
「報われない努力はできればしたくない」
とどうしても考えてしまうため、このような質問をしたくなる気持ちはわかりますが、誰も満足できる回答はしてくれないでしょう。
「今の生活や状況を抜け出すためには、自分は一定のリスクを取らなければならない」
ということを念頭に置かなければなりません。
「努力すること」というのは、すなわち、リスクテイクをすることなのです。
これは、
リソースがそもそも大きい人やリスク許容度の範囲が大きい人の方が「努力すること」に対してリソースを投入しやすいということでもあります。
例えば、
「これから1年間勉強だけに集中する」
ということも、社会人であればなかなかできませんが、時間がたっぷりある学生であれば、「努力」しやすいと言えるでしょう。
世の中においては、
「努力しないのはダメ」
といった風潮が強いですが、身の回りの環境から努力しやすい人としにくい状況に置かれている人と別れます。
そのことを念頭に置きつつ、
「如何に、今よりリスクテイクをできるようにするのか」
と考えて、普段の生活を見直すことも「努力すること」そのものよりも大事になってくることでしょう。