誰かのための支援をする際に、
「きっとこの人はこれに困っているのだろう」
と仮説を立てながら想像力を働かせることは非常に重要です。
しかし、この仮説、当たり前ですが常に合っているとは限りません。
例えば、
「目が見えない人はきっとこんなことに困っているのだろう」
と予想を立てて製品を作ってみたはいいものの、
「良いですね」
と表面的には言われても、
実は、さほど満足はされていない、ということはあります。
特に弱者支援などになると、
「世の中の弱者と呼ばれる人は、こんな感じで困っているのではないか」
と勝手に予想を立てつつも、
身近な人ではないという理由で、当の本人には何も聞きださない、
あるいは、表面的にはアンケートなどを取っているけれども、本音を話してもらえていない、ゆえに、何を本当は求めているのか、把握できない
といったことはよく起こります。
これは、
「きっとこうなのだろう」
という固定観念やバイアスが存在するのとともに、
「現場を見ない」
「リアルは知らない」
といった現実を見る機会や、見る気がない、といったことによって放置されがちです。
こうして、
「何かそれっぽいことはやっているけれども、実はさほど意味はない」
という支援ばかりが増えてしまう、ということにつながりやすくなります。
誰かに対する支援をする際には、
「きっとこれで喜んでくれるだろう」
と考えていても、
実は、それは相手はさほど求めていなかった
ということはよく起こります。
これはプレゼントなどでも同じようなことが起こりますね。
相手とコミュニケーションを取っていないから、相手の考えていることがわからず、予想だけで動くことになります。
そして、微妙に外してしまい、
「思っていたよりも、さほど、喜んでもらえなかった」
ということが起こります。
「○○は、××だろう」
という固定観念は私たちに楽をさせてくれますが、常に頼りになるとは限りません。
時には、
「これは固定観念ではないか」
「イメージだけで考えていないか」
「バイアスがかかっていないか」
と疑う姿勢も必要なのです。