「○○は簡単にできる」
とか
「○○は難しそう」
という印象は、
○○を実際にやっている人の様子によって印象が左右されるのかもしれません。
例えば、料理が得意な人がいて、
いつも、冷蔵庫の中身を効率よく用いて、
その時に適切なレシピを考えて、
段取りよく料理をした上で、
いつのまにか爆速で片付けまで終わっている
という一連の流れを傍から見ると、
「料理って簡単なのかな」
とか
「料理ぐらい、例えば、女性ならば簡単にできるよね」
といった印象ができあがりやすいのですが、
実際に、一連の流れをやってみると、
「思ったよりも手間取って時間がかかる」
「思ったよりも効率よく工程が処理できない」
といったことが起こります。
涼しい顔をして処理をしている人がいたとしても、誰もがすぐに同じようにできるわけではなく、実際に取り組んでみると、「意外と難しい」ということがようやくわかる、ということはよくあります。
他の例で言うと、かつて、私も、
「あの試験はあなたが涼しい顔をしてあっさりと合格していたから簡単な試験だと思って受けてみたけれど、全然違っていた。受かる気がしない。」
と他の人から言われたことがあります。
試験だけではなく、これは仕事などでもそうでしょう。
一見、誰かが涼しい顔をして処理していることであっても、実際に真似するのは実は非常に難しく、
まさに、
プロフェッショナル
でなければ上手くできない、ということはよくあります。
他の例としては、
ピカソに対して、絵を書くことを依頼して、思ったよりも高い金額を請求されたという真偽不明のエピソードなども同じような構造が見て取れます。
実際に、何か物事を成す際に、
「何にまず着目するのか」
「どのような視点で考えるのか」
「どのような具体的な工程で実際に処理するのか」
といったことは実際に試しに言語化してみると、非常に膨大なテキスト量になるため、初学者だと面食らうレベルの情報量になることがあります。
プロフェッショナルはこのような膨大な情報量を日々自分の頭の中にストックしているのであって、それゆえにプロフェッショナルになれるのですね。
一度何かの分野でプロフェッショナルになれた人は、自ずとこのような構造が肌感覚で理解できるようになります。
そして、同じく、他分野のプロフェッショナルに対する理解も早くなります。
プロフェッショナル同士がお互いをリスペクトしあっている場面を時折見かけることがありますが、
それは上記の事をお互いがまさに理解しあっているからでしょう。
プロフェッショナルに気持ちよく協力してもらいたかったり、仲良くなりたいと願った場合には、
上記の点を押さえておくと、仲良くなりやすいかもしれません。