あなたは誰かの
伝記
や
物語
を読んだことがあるでしょうか?
例えば、
歴史上の偉人
の伝記を読んだことがある人は、
「この人の人生は波乱万丈ですごいなあ」
と思いながらも楽しんで読むことが多いことでしょう。
「こんなドラマチックな人生を送ることができたら楽しそう」
と感じた人もいるかもしれません。
その一方、そのような楽しい伝記を読んでいるあなた自身の人生はどうなのでしょうか?
振り返ってみると、
「あれ、別にドラマチックなことってそんなに起こっていないような……?」
「ていうか、自分は大したこと出来ていないな」
と感じるのではないでしょうか?
というよりも、いわゆる
「日常」
の時間がひたすらに流れていくことの方が多いはずです。
実際のところ、普段から一生懸命に生きている人であっても、
毎日毎日ドラマチックなことが起こる、ということは非常に稀であって、
「何度も何度も日常が自分の人生に挿入される」
という感覚を持っているのではないでしょうか。
日常というのは、要は、
いつもと同じような行動をしている
とか
頑張っているけれども、何か目の見える成果が上がらない
という状態であり、
「どこか退屈」
なものです。
そのような自分の人生と歴史上の偉人の伝記に書かれているドラマチックな展開を比較すると、
「自分の人生はひどく退屈だ」
と感じてしまう人も多いかもしれません。
しかし、実際、それは勘違いかもしれません。
というのも、
伝記というのはハイライトな瞬間ばかりを抽出しているという意味で、InstagramやFacebookなどで「特別な日」のみを投稿しているのと同じような物なのです。
どんな偉人であっても、その伝記の中では、実は、
何度も何度も挿入される「日常」という行間
が存在するのです。
行間なので、当然伝記の本文、地の文には
「その歴史上の偉人の日常風景の描写は全然されていない」
のです。
したがって、何も考えずに、歴史上の偉人の伝記を読んでいくと、
そのような日常という行間が見えないまま偉人の人生のハイライトの部分ばかりを読むことになってしまいます。
しかし、
どんな偉人の人生であっても、「日常」という行間が存在する
ということを知っていながら他人の伝記を読んでいると、
「この人は、○○年から××という活動を始めていきなりうまくいっているように見えるけれども、見えない土台のようなものはこれのN年前ぐらいから徐々に積みあがっているという雰囲気があるな」
というポイントがおぼろげながらに仮説として頭の中から出てくるようになります。
もちろん、仮説は仮説でしかないので、思いついたからと言って、それが当たっているとは限りません。
しかし、
N年前から続いている日常という行間
において、次のその人の活躍のフラグが着々と積みあがっていなければ、このような成果は上げられないだろうと感じる場面というのは結構伝記などを見ていると見かけるのですよね。
このような
何度も何度も挿入される「日常」という行間
がなんとなく見えてくるようになると、
「むしろ、ハイライトの部分、華のある部分よりも、このような「日常」で何がなされていたのか、という部分の方が実は重要なのではないか」
と感じるようになってきます。
そして、自分の人生を変えるためのポイントは、
「退屈な日常の在り方」
にあるということにも気づくようになるでしょう。
「習慣が変われば人生が変わる」
ということは世間でよく言われますが、
習慣というのは無意識のうちに流れゆくあなたの日常そのものでもあるため、
「退屈な日常の在り方」
という問題でもあるのですね。
何度も何度もあなたの物語に挿入される「日常」という行間
を意識してみると、「日常」に対する見方が変わってくるかもしれません。
そして、それはあなたの人生を丸ごと変革するためのステップとしても大事なことなのです。