世の中には様々な物、商品やサービスが存在します。
そして、これらは何らかの理由で私たちの生活を豊かにしてくれていることでしょう。
とはいえ、その何らかの理由というのはもちろん様々存在します。
その中の一つに、
「緊急事態の時に私たちを助けてくれる」
といったタイプの便利な商品やサービスが存在します。
例えば、電話。
最近は、メールなどを始めとした非同期型コミュニケーションを好んで使用する人も多いですが、
緊急の連絡の際には、同期で双方的にコミュニケーションが可能な電話が重宝されます。
その一方で、本当に緊急事態の時以外の場合に、
「なんでわざわざ電話した?急ぎの用事でもないのに、大した内容ではないのだからメールでやればいいのに」
と思わざるを得ない人が他人に電話をかけていることもあります。
このようなタイプの人は、
「緊急だと相手に思わせることによって、自分を優先してもらいたいだけ」
ということが相手に伝わってしまう場合があり、段々と緊急性ではなく真の重要性を重んじる人から
「徒にこちらの時間と集中力を奪おうとして来る泥棒のような人」
と思われて、よっぽどの理由がない限り、相手にされなくなってしまう可能性があります。
このように、良くも悪くも、緊急事態には対応しやすいツールとして、
電話は「緊急性」の象徴
と評価することが可能でしょう。
仕事の中で電話を使用する頻度が多い人ほど、まともに仕事をしている場合、「緊急性」の高い仕事が多く、一日が終わると
「いやー今日も忙しかった」
と感じることになるでしょう。
もちろん、その忙しさというのは、非常に重要なことをやっている忙しさかもしれませんし、よくよく考えたら大して重要ではないことに振り回されているだけの忙しさかもしれませんが、それはケースバイケースとなるでしょう。
他の例はどうでしょうか?
コンビニエンスストア
などもそうかもしれませんね。
今いる場所から一番近く、かつ、24時間いつでも営業しているコンビニエンスストアの場合、
「○○が欲しい!そうだ、コンビニエンスストアに行こう」
となるため、これも
「すぐに○○が欲しい」
という需要に答えてくれているという意味で、
コンビニエンスストアも「緊急性」の象徴
と評価できるかもしれませんね。
しかし、人によっては、実は近くにもっと良い店が存在するにもかかわらず、なんとなくコンビニエンスストアにばかり行くといった人も存在します。
おそらくは、コンビニエンスストアに取り敢えず行くことによって、短期で欲しい物が手に入るためそのような行動に出ているのかもしれません。
しかし、コンビニエンスストアよりも良い店が近くにもし存在するのならば、そちらに行くことの方が場合によっては、重要かもしれません。
あるいは、
「いつもいつも、食欲がどうにも湧いてしまう。その度にコンビニエンスストアで何か食べ物を購入する」
といったタイプの人の場合は、一日に何度も何度もコンビニエンスストアに緊急で食欲を満たすために通っている可能性もあります。
他には、タクシーなども該当する可能性があるでしょうか。
これも、普段からタクシーを愛用している人もいる一方で、「急いでいる時にしかタクシーを乗らない」というタイプの人もいるかもしれません。
他は、救急車などもそうですね。
このように身の回りの商品やサービスを見ていくと、
「緊急事態の時に手っ取り早く問題解決をしてくれる」
といったタイプの商品やサービスはチラホラと見つけることが可能でしょう。
そして、そのような「緊急性」の象徴への依存度が高い人であればあるほど、
「なんだか知らないけれども、いつも忙しい!」
と感じる人が多いようです。
もちろん、意味のある忙しさ、解決するべき重要性の高い緊急事態というのもその中にはあるでしょう。
しかし、実際には、意味が薄い忙しさに振り回されているだけでいつの間にか一日が終わったり、一週間が終わったり、一ヶ月が終わったりします。
人生を変えるためには、どうしても、
重要性が高く、緊急性が低い事柄
である第二領域の活動に注力することが必要であるため、
身の回りに存在する「緊急性」の象徴に対する依存度が高い人であればあるほど、このようなことに取り組むのが困難になっていきます。
あなたの身の回りには「緊急性」の象徴が存在しませんか?
あなたはそれに対していつの間にか依存していませんか?
その依存から脱却するためにはどのような方法があるでしょうか?
このように、一つ一つチェックしていくと、例えば、
「そういえば、いつも○○を使っていたけれども、実は使う必要がないのでは?」
ということに気付くことが可能になります。
このような小さな気づきから人生を打開するための方法を見出すことが可能になるでしょう。