普段、同じようなコミュニティに属していると、いつの間にか、
「これって当たり前だよね」
という暗黙の了解、常識のようなものが形成されていきます。
例えば、
●時間ぐらい働くのは当たり前だよね
といった感覚や、
メールの返信は何分以内にやるのは当たり前だよね
とか
こういうことができるのって当たり前だよね
といった感覚です。
これらの感覚は「当たり前」であるがゆえに、普段は全く触れられないですし、言語化もされません。
それゆえに、
「いつの間にか忘れられている」
といったことすらあります。
私たちが普段の生活で、
空気
の存在を当たり前のものであると考えているのも同じような感覚でしょう。
しかし、それが実は当たり前ではなかったことにある日気づかされます。
例えば、それは突然、全く違うコミュニティに属する人に会った場合、特にそう感じるでしょう。
そして、
「自分たちが当たり前のようにやっていたことが実はすごい事であった」
ということに気付くことになるのです。
逆に、昔は、苦労して「すごい」ことを成し遂げたとしても、
いつの間にか
「当たり前」
と感じて、気にならなくなってしまうこともあるでしょう。
医師国家試験に受かるまでは、勉強を頑張って、合格に対して達成感を感じていたとしても、
実際に、その医師が実務に出ると、
「これくらい知っているのは当たり前」
という感覚になっていき、
殊更に、自分の知識量のすごさなどには全く触れなくなります。
まるで、今までの苦労などなかったかのような雰囲気になるのですね。
しかし、彼らは
「すごい!」
をいつの間にか
「当たり前」
に変えたからこそ本当のプロフェッショナルとなってきたのです。
殊更に言及することすらなくなっているからこそ、プロフェッショナルなのですね。
このように、
「すごい!」→「当たり前」
という変換をあらゆる分野で行うことによって人は成長していくことになります。
そして、そのサイクルが早ければ早いほど、その人の成長速度は物凄いことになるでしょう。