思い込みというのは、時に柔軟な発想を阻害します。
「書面に押印が必要である」
「自分が判子を押さなければならない」
という思い込みがあると、
「自分がリモートワークをすることはできない。出社しなければ」
という話になります。
このような、思考停止の前例踏襲があると、
判子のためだけに出社する
というめんどくさい作業に巻き込まれることになります。
冷静に考えて、判子を押すためだけに出社することほど馬鹿馬鹿しい話はないでしょう。
出社が必要であれば、出社しなければできない業務をその時に一気に終わらせたいですよね。
そのためにも、
「そもそも、書面に押印は必要不可欠なのか?」
ということを考え直したり、
「書面に押印が必要不可欠だとしても、わざわざ自分が、特定のタイミングで現地まで行って押印しなければならないのか」
ということを考え直したりすることが必要でしょう。
もちろん、これらを検討に検討を重ねたところで、
「やはり、自分が出社しなければならない」
という結論になるかもしれませんが、
その中でも、
「よく考えたらこれはいらなかった」
というものも出てくると思われます。
これがいくつも見つかるようになってくると、
「以前よりも生きやすくなった」
と感じることが増えるでしょう。
「○○しなければならない」
「○○するべき」
というのは思い込み、固定観念である可能性があります。
上の判子の例というのは、コロナ禍で一気に世間的に認知度が上がった事柄でもあります。
上記の例に限らず、あなたの身近なところで、同様の例があることでしょう。
それを少しずつでも見つけることが、
「めんどくさい」
を乗り越えて、
今よりも生きやすくなるための大事な工程になるのです。