人生においては、
「あの時が転機であった」
と後から語れるようなイベントのようなものが時折発生します。
そのようなイベントがあったからこそ、今の自分がある、とか人生が変わった、といった人も多いですが、
実際には、そのようなキラキラしたイベントのようなものの発生頻度はそこまで高くはないでしょう。
むしろ、
退屈な日常
とか
虚無の日常
と言えるような、
当たり前のような毎日
代り映えのないように感じる毎日
の頻度や時間の方がほとんどの人は圧倒的に高いことでしょう。
一般的には、特別なこととされることを毎日やっている人でさえ、
毎日やっているがゆえに、
「当たり前」
「なんか、普通過ぎる」
と感じてしまうため、どんなにすごいことをやっていても、
「大したことはやっていない」
と感じやすいものですし、
「退屈」
「虚無」
と感じやすいのかもしれません。
そのように考えると、
イベントという一気にテンションが上がる出来事があるようなときよりも、
それ以外の日の方が圧倒的に人生において多いと言えるのかもしれませんし、
それゆえに、イベントという特別な出来事が存在しない
「虚無の日常」
と感じてしまうような期間の方が人生においては実は重要なのかもしれません。
例えば、突然、
「次に何かが起こるとしたら3か月後だ」
という天啓が下りた時、
逆に言えば、1か月、2か月は「いつもと変わらない」、「つまらない日々」が続くということがほぼ確定したようなものであります。
実は、このような
「いつもと変わらない」
「つまらない日々」
と本人が感じてしまうのにもかかわらず、客観的に見て「すごい」と言われるようなことを当たり前のように続けてしまうような
良習慣
を身に着けていると、
次のイベントが起こった際に、一気にその良習慣ゆえの素晴らしい結果が表れやすいのですが、
日常というものが、あまりにも虚無なので、そのようなメカニズムに多くの人はなかなか気づきにくいのかもしれません。
むしろ、
「もっとたくさんイベントが欲しい」
とか
「人生が変わるような転機が早く来て欲しい」
と願いやすく、例えば、
「宝くじさえ当たれば、自分の人生は一気に変わるのでは?」
といった色々な意味で可能性の低い事象に期待しやすくなってしまうようです。
しかし、実際には、このような「特別な日」、「イベントがある日」よりも、
「虚無の日常」において何を当たり前のように習慣として続けてきたのか
の方が人生に与えるインパクトは大きいと言えるでしょう。
それゆえに、
習慣の力
毎日のルーティーン
というものは本当に侮れず、研究を重ねて実行を続けていくことが大事になってきます。