【第1653号】真のリスクは瑣末なミスの発覚で覆い隠されてしまう

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私たちは日常において、成功や失敗の判断を「目に見える成果」や「些細なミス」に基づいて下しがちです。しかし、目に見える現象の背後には、それとは比較にならないほど深く静かに進行するリスクが潜んでいることがあります。特に、ちょっとしたミスが表面化した場合、その発覚が人々の注意を一手に集めてしまい、本質的な問題への関心が削がれてしまうという現象は、組織や社会のあらゆる局面で見られるものです。

このような「瑣末なミスに対する過剰な反応」が、どのようにして本当のリスクの可視化を妨げるのかについて、いくつかの具体的な例を挙げながら考えていきます。

小さなミスが引き起こす「認知の収束」

ある上場企業で、IR資料における数字の誤植が発覚したとします。例えば、正しくは「営業利益5億円」と記載すべきところが「50億円」と記載されていた。このミスはもちろん訂正され、担当者は注意を受けることになります。メディアや投資家は「この会社のIRチェック体制は甘い」といった印象を持ち、一定の信頼失墜が生じます。

しかし、実はこの誤植の裏側では、もっと深刻な問題が起きていたとしたらどうでしょうか。例えば、事業部間での収益計上時期の調整に関する恣意的な運用や、連結対象子会社におけるガバナンス不全など、本質的な経営上のリスクが進行していたとします。けれども、「50億円の誤植」というわかりやすいエラーが出たことにより、それ以外の領域に対する注目が極端に薄れてしまうのです。

このような「認知の収束」は、組織や社会の知的耐性が試される瞬間でもあります。人は、理解しやすいエラーに強く反応し、複雑で曖昧なリスクには無関心になるという傾向があるのです。

「誤字脱字」ばかりが評価される資料作成の現場

職場における資料作成の場面でも同様のことが起こります。ある若手社員が提出した提案書に、誤字脱字がいくつか含まれていたとします。上司はその点を厳しく指摘し、文書の完成度の低さを問題視します。一方、その資料に記載された戦略的な提案の中には、既存の事業の見直しや重要なリスク回避策が含まれていました。しかし、それらの本質的な内容は、文面上のミスの印象に覆い隠され、十分に検討されることなく却下されてしまいます。

これは極めて勿体ない構造です。なぜなら、「本当に重要な提案」は、その表現方法や技術的完成度の高さだけでは評価できないからです。それでも、多くの組織は「完成度の高さ」を優先し、「構造の深さ」には無頓着になってしまう傾向があるのです。

司法の現場における“本質を見落とす構造”

司法の現場でも、こうした認知のズレが深刻な影響を及ぼすことがあります。例えば、ある事件において、担当裁判官が誤って過去の判例の引用を一箇所取り違えたとします。そのミスが弁護士に指摘されたことで、「この裁判官は信頼できない」という評価が一気に拡散します。

しかしその一方で、裁判の本質である事実認定や証拠の重みづけ、あるいは判断の枠組みそのものは非常に高水準でなされていたとしたらどうでしょうか。わずかな技術的ミスが強く記憶されることで、その裁判の本質的な価値――慎重な事実の評価や誠実な心証形成――が評価されなくなってしまうのです。

司法において重要なのは、形式的な正確さだけではなく、そこに至る論理の筋道や判断の適正さであるはずです。しかし、瑣末なミスがそれを“上書き”してしまうという現象は、誰もが他人事ではいられません。

「不安を消しやすいミス」への依存

人は、「わかりやすい不安」を見つけると、それに飛びついてしまう傾向があります。なぜなら、それを潰すことで「対処した」という感覚を得やすいからです。ミスの指摘は「対応可能なリスク」であり、「制御可能な問題」です。けれども、実際にはその背後に「不可視で構造的なリスク」が存在している可能性が高いのです。

たとえば、業績が数年間右肩上がりで成長しているベンチャー企業において、経理担当者の伝票処理ミスが発覚したとします。取締役会ではその対応が大きく議論され、「再発防止策」が検討されます。しかしその企業は、実は売上の急拡大に比して内部統制が極めて脆弱であり、過度なトップダウンによって現場が萎縮し、組織全体が「イエスマン化」していたとしたらどうでしょうか。

この本質的なガバナンス上のリスクは、「伝票ミス対応」の話題で消し飛んでしまう可能性が高いのです。

見誤りを避けるために必要な視点

本当に重要なことは、「何が起こったか」ではなく、「なぜそれが起こったのか」「背後に何が潜んでいるのか」に対する視点を持ち続けることです。ミスがあった場合には、それを丁寧に修正することは当然としても、それだけに注目するのではなく、そのミスがどのような環境から生まれたのか、その周辺に見過ごされた構造的な問題はないのか、という問いを持つことが不可欠です。

また、成果や成功においても同じことが言えます。短期的な数字が良かったからといって、それが再現可能な構造によって生み出されたのか、それとも一過性の偶然なのかを見極める必要があります。

人生の教訓:「人の目に映るもの」に惑わされるな

最終的に導かれる教訓はこれです。

「人の目に映るもの」は、しばしば真実から遠い場所にあるということ。

目に見えるミス、目に見える成果、これらに反応することは人間の自然な性質です。しかし、それだけで判断を下してしまうと、本当に重要なもの――構造、背景、長期的影響――が見えなくなってしまいます。

仕事でも人生でも、「なぜそれが起こったのか」「この状況の背後にある力学は何か」と問い続ける姿勢を忘れずにいることが、自分を守る最大のリスクヘッジになります。そして時には、「ミスが起きたこと」よりも「ミスしか見ていない集団の反応」の方が、よほど恐ろしいリスクの兆候であることもあるのです。

美紀のプロフィール
夢見がちな社会不適合者

社会人7年目かつ会社経営者(法人5期目)。
都内在住、マッチングアプリ上位0.0X%(上位3桁)の超人気女性会員。
フォーチュンレディ (Fortune Lady:幸運な女性)

かつて不登校になり片っ端から出席点を落としまくる。高校生の頃は家出経験も。
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INTJ型女性による皆既日食への歩み
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