日常の些細な会話の中で、「うちでこういう取り組みをしているんですよ」と何気なく話す人がいる一方、「今の勤め先ではこういう方針みたいで」と言う人もいます。使っている言葉の違いはわずかですが、その裏にある帰属意識や距離感には大きな差があります。言葉は無意識の心の反映であり、どちらを使うかによって、その人が自分の職場をどう捉えているか、どれほどの心理的距離を取っているかが垣間見えます。
「うち」という言葉の帰属力
「うち」という言葉には、明らかに内と外を分ける力があります。自分がその内部の一員であるという認識があり、そこに誇りや愛着、もしくは少なくとも一定の居心地の良さが存在していることを示します。
たとえば、ある若手社員が「うちの部署ではこういうツールを使ってるんです」と話すとき、その言葉には「自分もその一部である」という含意があります。ここには責任感や関与意識、さらには自発的な当事者性も感じられるでしょう。「うち」という言葉には、単なる職場の話ではなく、自分の選択としてそこに属しているというメンタリティが染み込んでいるのです。
「今の勤め先」や「今の職場」と言う人の視点
反対に、「今の職場では」「私の勤務先では」といった表現を好む人は、組織と自分の間にあえて距離を置いています。それは他人行儀な感覚ではなく、ある種の冷静さや客観性、あるいは「この所属は一時的なものである」という前提の下での構えかもしれません。
たとえば「今の職場では、ちょっと上の方針がうるさいんですよ」と言う人にとって、その「今の職場」は乗り換え可能な電車のようなものです。状況次第では降りてもいいし、別の路線に移ってもいい。そうした感覚をもって仕事をしている人には、場への執着も少なく、時に冷静な判断ができる一方で、組織との深い関係性を築くことには慎重です。
言葉からにじみ出る「生き方の態度」
どちらが良い・悪いという話ではありません。重要なのは、言葉の選び方が無意識のうちにその人の世界観や生き方の態度を映しているということです。
たとえば、転職を繰り返してきた人が「前職では」「今の会社では」といった表現を使いがちなのは当然かもしれません。逆に、長く一つの会社で勤めてきた人が「うちの会社では」と自然に言うこともまた当然でしょう。問題は、言葉の選び方に本人すら気づいておらず、いつのまにかその言葉が人生の方向性を固定してしまっていることです。
「うち」と言い続けることで、「ここにずっといるもの」と自分を無意識に縛りつけていたり、「今の職場」と言い続けることで、本当は踏み込むべき場面で一歩を引いてしまったりする。言葉は思考の枠を形づくり、その枠が人生の選択肢にまで影響を及ぼします。
具体例:同じ職場、異なる距離感
ある企業に勤めていたAさんとYさん。ふたりは同期でしたが、会話から明らかに職場に対する距離感が異なっていました。
Yさんは「うちでこういう施策を始めたんです」と語り、「うちの上司が」と日常的に話していました。業務に関しても、「うちの文化としては…」と自然に語る彼の姿には、組織に対する一体感がにじんでいます。
一方で、Aさんは「今の勤務先ではこういう考え方をしてるみたいですね」と言います。別に冷淡というわけではありませんが、あくまで一歩引いた視点で、自分と組織を完全には同一化していない。「いざとなったら出てもいい」という感覚が言葉の選択に滲み出ていたのです。
このふたりが将来的にどうなるか。Yさんはその組織に深く根を張っていくでしょうが、組織が変われば一緒に揺れるリスクもある。一方Aさんは、転職や独立といった選択肢に柔軟で、その分外部からの刺激や変化にも対応しやすい。どちらにも一長一短があるのです。
言葉が未来を決めることもある
不思議なもので、「うちの会社」と言い続けることで、その場所に自分を深く定着させてしまうことがあります。「所属すること」への自己暗示が強まり、仮に不合理な制度や人間関係があっても「でも、うちだから…」と我慢してしまう。
逆に、「今の会社」と言い続けていると、「ここにいなくてもいい」という感覚がどんどん強まり、本来なら成長や変化につながるチャンスを自ら逃すこともあります。例えば、「今の会社では評価されないけど、まあ次行けばいいか」と思って本気を出さなかったり、「自分にはここ以外に居場所がある」という前提で踏み込みを避けてしまったりするのです。
人生の教訓:言葉は未来を作る
言葉の選び方が思考の癖となり、思考の癖が行動の傾向を形づくり、行動の傾向が最終的にその人の人生の軌道を決めていきます。「うち」と言うか、「今の職場」と言うかというほんの小さな違いが、実は未来を大きく分ける分岐点になりうるのです。
だからこそ、自分がどのように所属先を呼んでいるのか、一度立ち止まって振り返ってみる価値があります。それは、単なる言い回しの話ではありません。あなたが人生において「どこに根を張ろうとしているのか」「何を一時的と見なしているのか」を示す無意識のメッセージなのです。
言葉は意図せず未来を形づくる。だからこそ、私たちは「言葉に支配される」のではなく、「言葉を選ぶことによって自分の未来を設計する」という姿勢が求められているのかもしれません。