投資の世界でよく言われるのは
損切りができることが大事
ということです。
これは、可能性がない、芽が出なさそうなものは早々に捨ててそこに投じたリソースを他の投資先に切り替える、という意味で有益な方法です。
そして、この損切りができるかどうかがこれからの時代では大事になってくるのではないか、と私は感じています。
これは何も投資の世界に限ったはずではなく、日常的なところでも
捨てる勇気ともいえる、損切りの能力は非常に大事になってくると思います。
損切りの対象としては、卑近な例ですと、
やる気があったが現実的に行く機会が少なくなってしまったジム
などのようなものがすぐに思いつきますが、
他の例でいうと、
勤め先からの退職
もある意味損切りともいえそうですね。
優秀な人ほど
「この勤め先で自分が得るものはもうない」
とか
「この勤め先で長く勤めていると自分にとってむしろ機会損失につながりかねない」
ということを敏感に察知し、さっさと転職先を決めてしまう人も多いようです。
一般的に、転職というのは重い決断でもあるため、この辺りを容赦なくバッサリと損切りすることができる人は自分の中で損切りラインというべき基準を予め作っているのです。
私が見ている限り優秀な人ほど意思決定基準を明確に定めているので決断も非常に速いです。
投資の世界でも
「この銘柄が10%下落したらもう損切りしよう」
といった意思決定基準を作ってそのルールを忠実に遂行することが良いとされていますが、
この話と同じように
「今の勤め先で○○が手に入ったらもう用はないから次に行こう」
という意思決定基準を予め作っていなければ勤め先から退社して次の新天地に移ろうという気持ちにはなかなかなれないでしょう。
それほど転職というのは重い決断だからです。
逆に何も考えずになんとなく仕事をしていて勤め先でもそれなりの評価を得ているだけの人は、このような意思決定基準を自分の中で確立できていないので、
「最近、あんまり自分は成長できていないかもしれない」
などと頭の隅で考えつつも、
「でも、まあいいか。一応やっては行けているし」
となあなあになってしまい、そのままダラダラと時間だけが過ぎていく、という状態になってしまう可能性があります。
そして、そもそも意思決定基準をしっかりと立てられている人というのは、自分の人生のビジョンや方向性が既に明確に決まっていることから、そこから逆算して意思決定基準を立てています。
意思決定基準というのはしっかりとした自分の人生のビジョンがあってこそ活きるものなのです。
自分の人生で何を目指しているのか?
そのために何が必要なのか?
今のやり方でどこまで必要なものが手に入っていて、逆に何が足りていないのか?
ということを常日頃から考えているからこそ、明確な意思決定基準が出てくるわけですね。
そして、このような明確な意思決定基準があるからこそ、捨てる勇気とも呼べる損切りの行動を適切に行える、適切な決断を早い段階で行えるわけです。
そして、このような適切な決断を何回早くやれているのか、というのがその人の人生の進行度に強い影響をもたらすことでしょう。
このように、優秀な人とそうではない人との差がどんどん広がっていくのです。
優秀な人たちが猛スピードで決断していくのを見るたびに
一体、自分はどのような人生を送りたいのか?
これを内省する時間を確保するのが本当に大切だということを私は感じてならないのです。