「人の役に立つ」
という言葉を見た際に、
「とはいえ、自分は役に立てることが何もない」
と感じる人は結構多いようです。
これは特に年齢が若い人に多いようですね。
「自分は取り立てて何も持っていない」
「自分は他人に対して何かしてあげられるような明確なスキルがない」
そういった、
自分が持たざる者ゆえに何もできない
という無力感を感じてしまう、という人も多いようです。
しかし、実際には自分自身が持たざる者であると思っていたとしても、
時間だけは持っている
という状態の人が大半です。
例えば、無職の状態になっている人の場合を考えてみるとよいでしょう。
自分がいま働ける状態にない
だとか、
自分に合った勤め先がなかなか見つからない
だとか、
そういった理由で無職になっている人もいます。
介護などを理由に無職になっているひともいらっしゃるかもしれません。
そのような状態であっても
スキマ時間は存在するはずです。
「でも、ちょっとした時間があるだけでは?」
「いずれにせよ、何もできない」
と感じてしまうかもしれません。
しかし、この微細な時間であっても他人の役に立つことは実は可能です。
具体的には、
目の前にいる人のことを理解してあげること、理解する姿勢を見せること
です。
正直なところ、そもそも自分は他人に関心がない、
という人が大半でしょう。
しかし、そのような現実があるにもかかわらず、
人は他人に自分を理解してもらいたがるもの
なのです。
あなたもそうなのではないでしょうか?
例えば、大勢の人の中に囲まれていたとしても、誰も自分を理解してくれるような人がいないと感じてしまうと強い孤独感を感じるのではないでしょうか?
反対に、目の前に人が存在しなくても、ネットなどを通じて自分の理解者が存在しているという実感があるだけでも孤独を感じることなく安心できるのではないでしょうか。
現代はこのように、
自分を理解してくれる他人
自分を承認してくれる他人
を多くの人は求めています。
逆に言えば、
自分以外の他人を理解しようとする姿勢がある人物
や
自分以外の他人を承認する姿勢がある人物
というのは
何か特別なスキルを他に持っていなくとも強く求められており、多くの人から望まれることになるでしょう。
そして、これはネットが発達した現代においては、ちょっとしたスキマ時間においてネットを通じて他者に対して示すことが可能になっているのです。
したがって、ちょっとした時間があって、ちょっと気力があるというだけで、
自分以外の他人を理解しようとする姿勢がある人物
や
自分以外の他人を承認する姿勢がある人物
になることは可能でありますし、
これをもって特別なスキルなしに
「人の役に立つ人物」
になることすら可能なのです。
あなただけに限らず、
人は他人に自分を理解してもらいたがるもの
ということを覚えておくと損はありません。
持たざる者にとっての突破口はここにあるといえるでしょう。