「あのアイドルは私の推し!」
だとか
「推しのために今日も仕事を頑張れる」
と言った方が一定数いるようです。
「推し」というのは、、、
人やモノを薦めること、最も評価したい・応援したい対象として挙げること、または、そうした評価の対象となる人やモノなどを意味する表現。
https://www.weblio.jp/content/%E6%8E%A8%E3%81%97#:~:text=%E4%BA%BA%E3%82%84%E3%83%A2%E3%83%8E%E3%82%92%E8%96%A6%E3%82%81%E3%82%8B,%E3%81%AA%E3%81%A9%E3%82%92%E6%84%8F%E5%91%B3%E3%81%99%E3%82%8B%E8%A1%A8%E7%8F%BE%E3%80%82
ということを意味するもので、
その対象はアニメのキャラクターでもあり得ますし、
現実に存在するアイドルなどもあり得ます。
最近ではVtuberなども「推し」の対象に入っている場合もあり、
Vtuberに対して「投げ銭」と呼ばれる機能を行うことで、その人にお金を渡すということをやってそのVtuberの活動に貢献している人もいるようです。
アイドルの場合はライブや握手会のイベントがある度にその現場まで遠征までして活動を応援する人も存在するようです。
このような
「推し」
が存在する人は
その「推し」が存在していて自分が応援しているだけで満ち足りた気持ちになることがあるようです。
「推し」の活動を支えるためには投げ銭などを始めとして
お金などを投じる必要がある場合もありますが、
そのためならば、例えば今の勤め先でつまらない仕事をやっていても、
「次の有給の時には遠征にも行けるから推しをさらにサポートできる!」
と感じることができますし、
「次の給料日に給料が振り込まれればさらに推しをサポートできるからそれまでこのつまらない仕事があっても耐えられる!」
と感じることができるようです。
このような効果があることによって、
平凡でつまらないと感じる仕事や毎日のルーティーンを行っている人は
推しを応援するという行為によって自分自身が救われている
という見方をすることもできそうですね。
すなわち、推しが存在する人にとっては、
推しの存在によって自分の人生が彩り豊かなものになったり、意味を感じられるようになる
という大きな効用を得ているようなのです。
このような
「救い」
を感じられるからこそ
彼らは推しを応援するのでしょう。
一方で、特定の「推し」だけを応援する場合のリスクのようなものも存在しているようです。
具体的には、
アイドルが活動停止した
とか
「推し」本人が不慮の事故などの何らかの理由で亡くなってしまった
などの事情によって、
応援する対象が消えてしまう
ということもあるようなのです。
これは製作が終了したアニメやその派生コンテンツなどにも言えそうですね。
世の中には息の長いアニメやその派生コンテンツなどに熱中している人も存在しますが、
そのコンテンツの供給が突然止まってしまうこともあり得ます。
二次創作などの世界はそれでもまだ継続することもありますが、二次創作の作者の妄想力は公式のアニメやコンテンツから流される新規情報などに支えられている場合もあるために、
その公式からのコンテンツ情報の供給が途絶えてしまうと二次創作の妄想力もしぼんでしまうことにつながるため、
結果的に二次創作のコンテンツ供給も鈍化してしまって、そのジャンルのコンテンツの供給自体が止まってしまい、
「推し」の活動停止にとって応援できる、熱中できる対象が消えてしまった
ということになってしまう可能性があるわけです。
このように「推し」を失ってしまった人は新しく「推し」をできる対象を探す方も多いようです。
このような事情もあるために、
本能的にこれから伸びそうだと感じる対象しかそもそも「推し」にしない
ということを行っている人もいるようですね。
例えば、人気アニメなどは最初はそれほどではなくとも一気にその人気が広がったりすることもありますが、
人気が広がったタイミングで自分の「推し」の対象に入れる
ということをやっている人もいます。
「推し」を応援していたのに人気が出なくて活動停止に追い込まれてしまったりするなど、自分が「推し」を応援した分が無駄になってしまう可能性があるならば、その無駄が出てきてしまう可能性を最初から排除したいという保守的な発想でこのような動きをする人もいるようです。
とはいえ、どのような「推し」も活動停止に追い込まれたり、コンテンツ供給が突然止まってしまう可能性というのはあるものです。
これは、そもそも自分以外の大多数の他者の力によって「推し」の活動が支えられているという要素が大きいという現実があるからと言えるのではないでしょうか。
自分が大口の太客として特定の「推し」を支えることができるのならば、「推し」を豊かにしてその活動の継続を自分自身がコントロールすることは可能なのでしょうが、
多くの人はそのような立場にいないと考えられます。
このように自分以外の人間などを「推し」とすることは、多くの場合、自分自身がコントロールできないものに依存することにつながると考えられます。
とすると、誰かの太客になれる人以外の場合、
自分自身を「推し」の対象とする
ことによって、自分自身が死ぬまで人生楽しめるようになる
可能性が高いのではないでしょうか?
自分自身が「推し」であれば、外部の事情によってコンテンツ供給が止まるということは基本的にありません。
コンテンツ供給を止めている要因があるとしたらそれは自分自身が自らコンテンツ供給を止めているという話になります。
自分自身がコンテンツ供給をし続けなければならないという大きなハードルがあるものの、理論上は、
自分自身を「推し」にすれば死ぬまで人生楽しめるようになる
と言えるのです。
なんだかつまらない日常が続くから「推し」が欲しい。。。
と感じている人の場合、
自分自身を「推し」にする
ことを考えてみるのが良いかもしれません。