あらゆる悩みは
人間関係の悩みである
と言われることがあります。
人間関係の悩みとはいっても、その内実はかなり複雑な物だと考えられます。
例えばあらゆる人間関係において
「この人とは仲がいい」
とか
「この人とは仲が悪い」
といった
0か100か
といった問題が存在することはかなり少なく、
むしろ
適切な人間関係の距離感を相手との間で取れなかったがゆえに発生するトラブルに苦しめられている
ということの方が多いと考えられます。
これは例えば同居家族においてトラブルが発生しやすいこととも関係があると思われます。
一般的に、家族であれば仲が良いなどといった観念があるかもしれませんが、
実際には距離が近すぎるがゆえに不満やトラブルが出てくる場合があったりするものです。
例えば、母親と娘が同居している場合に、
母親は日ごろ他の人と話す機会がなく、どうしても娘とのコミュニケーションの時間をもっととりたいだとか、娘の近況例えば職場での様子はどうだとか彼氏との様子はどんな感じなのかといったことを盛んに知りたがっていても、
肝心の娘の方は、そもそも仕事が忙しい、自分のプライベートなことまでいちいち母親に話したくないといった感情を持っていて母親と接点を持ちたがっていなかったりする場合などが考えられます。
このように、
母親は娘ともっと近い距離感でいたい
と望んでいる一方で
娘の方は母親とちょっと離れた距離感でいたい
と望んでいる場合、
母親が娘に対して距離を詰めすぎることによって娘に拒絶されるといったことがあるかもしれません。
例えば、
母親が家に帰宅してきた娘に対して
「最近仕事はどう?職場の人たちと仲良くやっているの?」
などと質問したとしても、
娘の方から
「別に」
とか
「そんなのどうでもいいじゃない」
などと言われてプライベートなことをいちいち詮索してくることに対して事実上
「小さな拒絶」
をしている場合があります。
このような
「小さな拒絶」のサインが娘から母親に対して出ている場合、
いわゆる
人間関係の距離感が計れる人の場合には
「ああ、なるほど。このような話題を振られるのはこの人は嫌なのかもしれないな」
といった仮説を立ててその仮説をもとに次からの行動を改めることができるのですが、
人間関係の距離感がイマイチわかっていない人というのは、
「私が娘のことを聞きたいと思っているのにどうして教えてくれないのだろう??」
などといった思考に陥りがちです。
または、
「私が娘のことを心配してあげているのにどうして教えてくれないのだろう??」
と考えがちです。
このような発想というのは、
自分が娘との距離感をもっと縮めたい
という自分本位の気持ちであって
娘の方の
「この話題についていちいち聞かないでほしい」
といった欲求や気持ちを無視する発想です。
すなわち、
娘の方は母親とそこまで距離感を縮めたくないと思っている
のにもかかわらず
そのような相手の要望を無視するような発想なのですね。
この発想のまま突き進んでいくと、
母親の方から娘に対して例えば、
「彼氏は○○な人じゃないとだめだよ」
とか
「職場ではこういうことを気を付けるべきだよ」
とか
「私はあなたのことを心配しているのだから○○しなさい」
といった
相手から全く望まれていないアドバイスや考え方・価値観の押し付けなどをし始め、
ついには娘から完全に拒絶される
といった事態に発展するかもしれません。
いわゆる
絶交宣言
のようなことまでされなくとも、
徐々に口数が少なくなる
だとか
いつの間にか娘が一人暮らしを始めて物理的に距離を取られる
といったことになる可能性があります。
より娘の方の年齢が若ければいわゆる
家出される
といった形での
母親に対する拒絶
が行われる場合もあるのです。
これは恋愛などでも同様なことが言えます。
例えば、気になっている人と一緒に食事などに行って楽しい時間を過ごせたと主観的には感じられても、
相手は気を使っていたのでそこまで楽しいと感じられていなかった場合もあります。
このような状況で相手とさらに距離感を縮めようと思って踏み込むと
相手から
「小さな拒絶」
をされることがあります。
このような「小さな拒絶」のサインを見逃してしまって、どんどん距離感を詰めようとしてしまうと
最終的に相手から拒否されることになるでしょう。
自分の視点からは「一緒に食事に行って楽しい時間を過ごせたはずなのに」「もっと仲良くなれると思っていたのに」
と感じるかもしれませんが、
相手は自分との間ではそれ以上に近い距離感は実は望んでいなかったという場合があるのですね。
コミュニケーション能力の高い人というのはこのような
ちょっと距離的に踏み込んだ際の相手からの「小さな拒絶」のサインを見逃さずに適切な対応をとれるため
相手との間で適切な距離感を保ちやすいのです。
これはすなわち
相手が望んでいる距離感を察知して自分がそれに合わせてあげている
という気遣いが見られるからなのですね。
コミュニケーション能力を高めることができる人というのはこのような
「小さな拒絶」のサイン
に日々何度も会いつつも、それに対して
「相手は自分との間でどの程度の距離感を望んでいるのか?」
ということを仮説立ててその仮説をもとに実践を行っているため、
そのような状況がある度にその人の中でデーターベースが蓄積され、段々と適切な行動をとることができるようになっていきます。
これは見方を変えると、
「拒絶された」経験が多い人はそれをバネにさらにコミュニケーション能力を高められる
ということもできると考えられます。
恋愛においても
「相手からフラれると傷ついてしまうからそもそも告白したくない」
といった、
0戦0敗
の発想の人もいますが、
「拒絶された」
という現実に直面するたびに経験値が蓄積するたびにそのような経験値を貯めていった人の方が実際にはさらにコミュニケーション能力を高めることができると考えられます。
「小さな拒絶」のサインも含め、
「拒絶された」経験というのはある意味資産にもなり得るのですね。
もちろん、このような資産を生かすためには試行錯誤が必要にはなります。
元となるデータが多ければ多いほど、試行錯誤の精度は高まっていくことでしょう。
そういう意味で、
「拒絶された」経験が多い人はそれをバネにさらにコミュニケーション能力を高められる
と言えるのであって、
「拒絶される」
度にショックを受けていつまでも落ち込みすぎるのではなく、
それを
良い経験だった
ととらえていくとよいでしょう。