よく言われることとして、
最強の自己投資は何か?
最強の習慣は何か?
と問われた際に
それは
学び続けることである
と言われます。
では、
学びとは何なのか?
学ぶために具体的に何をするべきなのか?
ということが次に問われることでしょう。
人によっては、
仕事におけるパフォーマンスを上げるためにそれに関連するテクニックを磨いたり
世界情勢についていくためにこれに関する学びを深めようとしたり
教養を高めたいので大学に入りなおして学び直したり
単純に本を読む回数を増やしたり
セミナーに参加してみたり、
といった形で学びを深めようとしていますね。
このように
学びの形
というのは
その人の学びの目的によってどのような手段がより適切なのか決まってしまうので、
一概に
これが学びの正解である
ということを断言することはできず、
個々人の今目指している目標に向かって適宜一番良い方法を選ぶ
ということになりそうです。
しかしそうであっても、
個人的には
ある程度の人にとって汎用性の高い学び方というのも存在するのかなと考えています。
それは何かというと
何気ない日常の出来事から人生の教訓を引き出す
という学び方です。
これは、抽象的には
体験を経験化する
とも言われますね。
体験というと、
何かものすごく重大なイベントごとなどを想像してしまう人もいるかもしれません。
しかし、実際には
ほとんどの人の人生というのは
大した出来事、大したイベント
よりも、
些細な出来事、日常的な出来事
によって大部分が構成されていることがほとんどだと考えられます。
例えば、日常生活でやることといえば、
典型的には
家事
などもありますね。
正確に時間を計ってみると、そこそこの時間を家事に費やしていた、という人も多いと思われます。
家事と呼ばれるような大それた、具体的なことをしていない人であっても、
家の中で睡眠をとる
という動作や
家の中でお風呂に入る
という自分自身が生活するために必要な動作を行っていたりします。
このような
日常的な些細な出来事
から
人生の教訓を引き出す
ことができれば、
少しずつではあるかもしれませんが、
得られた人生の教訓から導き出された具体的な行動を次から意識して行えるようになるため、
そのような微差が長い目で見ると大きな差につながっていくことでしょう。
例えば、
トイレットペーパーが急に切れそうになって困った
という出来事があったとしたら、
次からは急に切れないようにするためにはどうすればよいのか?
と考えて、
そもそも、トイレットペーパーの残量を気にしなくて済むように定期的に家に届くように定期便を購入するようにするのがよいのかもしれない
と考えた場合、
ここから、
家にある消耗品は残量が減っていくのに気を使わないようにした方が良いかもしれない
とか
家にある消耗品が切れてしまっても慌てて買いに行かないようにするためのシステム、例えば定期便の設定をしておくなどといったものを導入した方が良いかもしれない
という教訓が導き出される可能性がありますね。
この考え方の場合、
トイレットペーパーを日常的に家で使用する消耗品という形で一旦抽象化してとらえています。
このような捉え方をすることによって、
トイレットペーパーが切れそうになったという日常的な些細な出来事から、
家の中のあらゆる消耗品、
例えば、
シャンプー
や
リンス
や
洗剤
といったものにまで考えが及ぶようになっていきます。
このように、
何気ない日常の出来事から人生の教訓を引き出す
という形で、
具体的な事象→抽象的な教訓→他の具体的な事象
を考えられるようになると、
いわゆる
1を知って10を知る
という状態に近づいていきます。
このような学び方をすると、いつのまにか人生が大きく好転していくことになるでしょう。
学びというのは日常的な場面にまでその材料が転がっている物なのです。