その人の人生がどのように進むのかは
起こった出来事に対してその人がどのように解釈するのか
によって決まると言っていいでしょう。
これは
状況解釈能力
というべき立派な能力です。
例えば、
「貧乏な家に生まれてしまった」
という出自の問題があなたにあったとしても、
「ゆえに、自分は不幸な人間である」
という結論に結びつくとは限りません。
むしろ、
「貧乏な家に生まれて、お金に不自由する状態が幼少期に続いていたからこそ、忍耐力が増して、能力を伸ばして稼げる自分になるために気合を入れて頑張ることができた」
と考えることもできるのです。
「貧乏な家に生まれてしまった」
というのを見ると、一見不幸に見えるかもしれませんが、
しかし、解釈次第で
「自分はなんて幸運だったのだろう」
と考えることができるのですね。
このように、単純に
出来事A
が起こったとしても、
その出来事に対する捉え方によって結論は変わり得ます。
そして、
出来事Aによって、
「自分はなんて不幸なんだ」
ととらえることもできれば、
出来事Aによって、
「自分はなんて幸運なんだ」
と捉えることもできるのです。
結論だけを見ると真逆に見えるかもしれません。
しかし、
一つの出来事Aに対して、
不運だった
という評価と
幸運だった
という評価は同居し得るのですね。
これはある意味
「言ったもの勝ち」
といえる面もあるかもしれません。
やろうと思えば、
「今あなたの目の前にスマホがある」
という事実でさえもあなたを幸運にすることができます。
どんな出来事に対してでも、意味づけは可能なのですね。
そして、幸福なことと、不幸なことは、同時に起こっていることが殆どです。
が、どちらを受け取り、感じるかはあなたの自由です。
そして、幸運な人というのは、どんな出来事に対しても、幸運を見つける力が長けているのだと思われます。
幸運なことと不運なことは同時に起こるもの
そして、それをどう受け取り感じるかはあなた次第なのです。