都心をふらりと歩いていると、
「明らかにこの不動産は高そうだな」
と感じることもあれば、
「建物の部分は微妙だけどそこそこの値段がしそうだな」
などと感じることもあります。
特に都心の不動産ともなると、建物の部分が大した事なさそうに見えても、
平気で億越え
といった物件が存在していたりします。
地方出身の人は都心の不動産の高さにびっくりしたことが一度はあるでしょう。
「このぐらいなら地方だと数千万円ぐらいで買えるのに……」
と感じることもままあります。
地方と都心とでは建物部分ではなく主に土地の値段があまりにも違うため、
地方の不動産の値段の感覚に慣れてしまうとえらい目に遭います。
建物の部分は同じように見えても土地も合わせた値段になると全くと言っていいほど景色が変わるのです。
なんとなくの素人感覚で、
「この不動産は3億円ぐらいで買えるかな?」
などと思ったとしたら、
蓋を開けてみると実は10億円ぐらいかかる
みたいなこともあり得ます。
3億円ぐらいならば、勤め人の生涯年収ぐらいなので、
「自分でも、頑張ればもしかしたら手が届くかも?買えるかも?」
と感じる人もいるかもしれません。
しかし、いざ10億円という値段を見ると、当初のイメージした値段とのギャップから
「自分が買えるような不動産ではなかったか……」
「自分には手が届くものではなかった」
「何とかしてもっと稼げるようになってから検討するべきだった」
と認識を改める人も出てくることでしょう。
不動産の相場感覚をもともと持っている人であればこのようなギャップを味わう可能性が減りますが、
そのような感覚のない全くの素人の場合ですとそのギャップにショックを受けてしまうこともあるでしょう。
不動産の場合は数字によって自分の感じていた価格や自分にそれを購入できるか判断するための購買力が現に存在しているかどうかは把握しやすいです。
しかし、他のジャンルでこのようにギャップが数字に表れにくい分野ともなると、そもそもギャップを把握するのが困難になります。
例えば、
人間関係
などが典型的だと感じています。
類は友を呼ぶ
という言葉がありますが、
基本的に他人との関係を維持するにあたっては釣り合いが取れている必要があります。
不釣り合いの場合は、人間関係が一度構築されたとしても早晩のうちにその関係が解消されたり疎遠になりがちです。
しかし、釣り合いが取れているかどうか、不釣り合いなのかどうか?
というのは数字には表れにくい物です。
不動産の場合は、
不動産の価格≦自分自身の購買力
であれば、購入が可能であることはすぐにわかるのですが、
人間関係におけるマッチングにおいては、厳密に数値化されていないがゆえに
釣り合いが取れているかどうか、不釣り合いなのかどうか?
について自分の認識と客観的な相場との間にギャップがあるのか、あるとしたら何がどのぐらいギャップがあるのか
ということはわかりにくかったりします。
この辺りが人間関係において悩ましいところですね。
不動産のように数字で表される価格という指標が如何に便利なのかがよくわかります。
そんなことを考えながら都心をふらりとしていました。