幼い頃は、
「○○になりたい」
とか
「いつか○○したい」
といった形で一見荒唐無稽とも思える夢や目標、願望を掲げていた人も多いと思います。
しかし、多くは、思春期、中学生ぐらいの時からでしょうか。
無邪気に、
「○○になりたい!」
と考えたり、
それを他人に対して堂々と宣言することは少なくなってしまった、
という人が多いのではないでしょうか?
それはやはり、荒唐無稽な願いや妄想が頭の中に出てきたとしても、
「でも、現実的に考えたら、○○って無理だよね……」
とか
「○○って言ってみても、周りから『いやそれ無理でしょ』とか言われそうだな……」
とか
「思ったよりも自分は○○とかできないな……だから、××とかも無理かもな……」
などと、
妙に賢くなってしまうがゆえに、
「でも、現実的に○○って無理だよね……」
という形で、
夢・妄想が出てきても、賢い自分が出てきて、
一瞬で諦めてしまう
ことも多くなってきたのではないでしょうか?
そして、
夢や妄想を思い浮かべたことすら忘れてしまう
という形で日常生活を送っている人も多いのだと思います。
それはある意味、
現実を知った、
とか
自分の身の程を知った、
それゆえの判断、ということなのかもしれません。
もしかしたら、その時点ではその判断は極めて正しい物だった、といえるかもしれません。
しかし、現時点ではそうでも、未来永劫に妄想は妄想のまま終わってしまうのでしょうか?
「いつか、悠々自適にリタイアしたい」
「いつか、大学院に行きたい」
「いつか、南の島で……」
といったあらゆるふわふわした妄想であっても、
実は、
諦めなければ数十年後には叶っていた、
という事例は実は多い物です。
というのも、人間は自分が意識した願望や目標がある場合には、
それに関するアンテナが急激に強くなるもので、情報収集力が高まるものです。
例えば、
「早く、FIREしてリタイアしたい!」
と考えている人は、
それに関する情報を集めたりして、少しずつ自分自身の願望に近づいていくことになります。
そして、情報を集めていく中で、自分に足りていない物や、これから足さなければいけない物がなんであるのかを知って少しずつ対策を重ねていくことでしょう。
また、
「年収1億円欲しい!」
と考えている人は、それに関する情報を集めたりすることになるでしょう。
通常、勤め人ですぐに年収1億円になる方法はほぼなかったりするので、大幅に方向転換を余儀なくされる可能性があります。
そして、その中で、
「では、どうやって方向転換することができるのだろう……」
などといったことを真剣に考えるようになるでしょう。
そして、そこから少しずつ、
本当にほんの少しずつかもしれませんが、
夢には近づけるようになります。
諦めなければ数十年後には叶っていた
というのはこのような作用も関係していると思われます。
一方で、逆に、
一瞬で諦めてしまう
と
そこで思考停止、考えるのをやめてしまい、
それ以降、情報収集もできなくなってしまうため、
そのまま永遠に叶わないまま一生を終える
ということにつながってしまうわけです。
したがって、
「でも、現実的に○○って無理だよね……」
と思ってしまうような
荒唐無稽ともいうべき、
夢見がちなふわふわ妄想
であっても、
頭の片隅にとりあえず置いておく
ことは非常に重要になることでしょう。