コミュニケーション能力
というのは、複雑怪奇なものです。
いわゆる、言語を用いてコミュニケーションが円滑に進む場合もあれば、
非言語的ふるまいだけで意図が伝わってしまう場合があります。
例えば、
長年連れ添った夫婦間で
一方が
「おい」
というだけで配偶者がお茶を出してくれる関係というのは言語を用いてコミュニケーションしているというよりは、
その時のお互いの振る舞いや、長年のコミュニケーションによって蓄積された文脈のデータからお互いが意思を伝達していると言えるでしょう。
言語化能力がたとえ乏しくても、
このように意図が簡単に伝わる場合もあるのですね。
このように言葉足らずでも意図がしっかり伝わる場合と言うのは、
いわゆる近い関係
である場合が多いのですが、
つい先日、全く知らない人との間でもこのように意図が伝わる事例を体験しました。
どのような事例かというと、
簡単に言えば、
レジ前で雑務を行っていたコンビニの店員さんに「すみません……」と声をかけただけで、
すっ……
とアイスクリームのスプーンを迷うことなく無言で渡された事例ですね。
私が「すみません……」と声をかけて具体的な用件を口にする前にスピーディーに対応してくれました。
この時私は、手元にアイスクリームの商品を手に取っていたのです。
したがって、店員さんは、私に声をかけられて様子を見た瞬間に、
「この人はアイスクリームのスプーンを渡してほしいのかな?」
と一瞬で理解できたのでしょう。
おそらく、これはレストランなどで、水を盛大にこぼしてしまった際にも「すみません……」と声をかけるだけで店員さんに的確に対応してもらえるのと似たようなことだと思われます。
具体的な用件を伝えなくても状況から文脈を推察して人は他人の意図を理解することができるのですね。
コンピュータならばなかなかこうはいかないでしょう。
「すみません……」と声をかけたり、
「Excuse me. 」と声をかけたところで
「???」
と反応されるだけで、
人間と同じように文脈を学習できていなかった場合は対応することができません。
「察してちゃんにならずに口でちゃんと用件を言いなさい」
とはよく言われますが、
具体的な用件を言わずとも、文脈や状況から意図を読み取ることができる人間はやはり便利な存在なのだということを実感します。
ところで、上記のアイスクリームのスプーン事例ですが、
スプーンを素早く手渡されただけで、特に会計の案内はありませんでした。
店員さんはスプーンを渡したまま特に有人レジに案内することなく無言で再び雑務に集中し始めたのです。
この反応を見て、私は一瞬
「?」
となりました。
何故ならば、私が手に持っていたアイスクリームは未精算だったからです。
どうやら店員さんは、
「この人は、アイスクリームを精算したはいいものの、そこでスプーンをもらい損ねたからわざわざ自分に話しかけてきた」
と文脈を理解していたようですが、
実際はそうではなく、
私がアイスクリームをセルフレジで精算する前に、セルフレジがある場所にアイスクリームのスプーンの在庫が残っていなかったことに気付いたがためにそこから少し遠くに離れていた店員さんに話しかけた
のでした。
すなわち、
店員さんは私の「すみません……」と声をかけてきた行動に関する意図をおおよそ読み取れていたのですが、完璧に読み取れているわけではなかったのでした。
やはり、口頭での補足があったほうが正確に物事は伝わりやすいのだろう、とこの時に感じました。
その後、アイスクリームの精算は無事に済みました。
言語コミュニケーションと非言語コミュニケーション
どちらも大事にしたいですね。