「今日、ほんのちょっと頑張るだけ」
この行為の効用、普段は私たちはなかなか意識することができません。
しかし、
塵も積もれば山となる
とも、
千里の道も一歩より
などと言われるように、
ちょっとした行動はそれを続けることによって大きな結果を生み出すことにつながります。
例えば、
貯金をしたり、
金融資産を貯めていくと、
数円程度では人生に大きな影響をもたらしてくれることはほとんどないものの、
まとまった資産形成ができるようになると、
その分、自分の人生の自由度が増すことにつながります。
これを突き詰めて考えていくと、
普段ちょっとした額を貯金したりすることは
自由の欠片を集めている
と表現することが可能でしょう。
貯蓄を意識している人はそれはもう毎日のように
ほんのちょっとの自由の欠片を集め続けているのです。
自由の欠片を集めている
と聞くと
なんだかカッコいいことをしているような、そんな気がしませんか??
少なくとも、
「貯金を頑張っている」
と表現するよりは陳腐ではないと考えています。
また、仕事などで、
「なんだかつらいな」
「マンネリだな」
「退屈だな」
などと感じている人もいるでしょう。
しかし、マンネリだとか退屈だと感じる仕事というのは、
他の人が今まで全く経験したことがない仕事である可能性が高いですし、あなただからこそ簡単にできてしまう、という可能性があります。
したがって、
2年、3年経っていくと、
いつのまにか、
「あれ、これだったら自分は簡単にできるかも?」
ということに気づくことになるでしょう。
特に仕事の場合ですと、毎日似たようなことをやっている人もいるでしょうから、
その分野においては少なくとも素人よりははるかに進んでいるはずです。
3年もやれば自分自身でも能力が高まっていることを実感できるようになるでしょう。
そのような視点で見ると、
普段あなたが
「マンネリかも」
「退屈かも」
と感じていたとしても、その仕事に一定期間励んでいる場合、
それは
才能の欠片を集めている
と称することができると思われます。
これも、
才能の欠片を集めている
と聞くとちょっとカッコよく聞こえませんか?
実際は毎日同じような行為を繰り返すことは習慣ともいえる事柄なのですが、
このような小さなことであっても、その習慣が洗練されていくと、
「まるで才能のようだ」
と他者から称されるようになることでしょう。
これは普段から、
才能の欠片を集めている
すなわち、地道な努力を頑張っているからこそなせるものです。
同じように、
経済的自由を目指すことも
自由の欠片を集めている
のと同じように、
才能の欠片を集めている
といえるかもしれません。
地道な努力というのはそれだけを見ると退屈でつまらないと感じやすいものです。
しかし、
自由の欠片を集めている
とか
才能の欠片を集めている
と聞くと、
何かカッコいいことをしているようにも感じます。
具体的な行為だけを取り上げると無味乾燥な感覚がありますが、上記のように、抽象的に考えると、このように、自分のしていることの位置づけを理解できるようになることでしょう。
私たちは普段何気なく小さな行動をしていますが、
それによって、私たちは小さな小さな「自由の欠片」「才能の欠片」を拾い続けているのかもしれませんね。