「高望み」
という言葉がありますね。
多くの場合、この言葉は肯定的なニュアンスで用いられることは少ないようです。
例えば、
「AくんはBさんのことが気になっているらしいけれど、高望みだよね」
とか
「良い待遇を受けたいけれど、自分には高望みでしかない」
と言ったように、
自分には不釣り合いな願望を抱いていて残念、
といった文脈で用いられがちです。
確かに、釣り合いといったものは存在はするでしょう。
しかし、この釣り合いというのは固定的なものではありません。
例えば、時速4キロの速さで遥か先を走っている人を時速40キロの速さで追いかけていけばそのうち追い付いたり、追い越したりすることも可能なのです。
そういう意味で、
前は釣り合っていなかったけれど今は釣り合っている
といったこともあり得るでしょう。
そして、そのような形で釣り合うまでのどこかで
高望み
という形で、ともすれば身の程知らずと言えるような願望を抱くことは十分にあり得ます。
特に、
「これから人生を変えたい!」
という気持ちを抱いている人や
「これから全く新しい人生を歩みたい!」
と考えている人が頭の中で思い描いていることは、客観的に見れば「高望み」と言われてしまうようなことである可能性もあります。
しかし、そもそも、そのような「高望み」をしなければ、あなたがこれからの人生を大きく変えるきっかけを得ることは難しいでしょう。
「高望み」をすることによって初めて、
「高望み」を叶えるためにできることはないのか??
と考え始め、アンテナが立ち始めるのです。
何となく過ごしているだけで、なんとなく人生が変わることはあまりありません。
「高望み」をしている人だからこそチャンスに気付くことができる、という側面もあります。
そして、小さなチャンスに乗り続けることによって、「高望み」が「当たり前」に段々変わっていくのです。
このようなプロセスを経て人生が大きく変わっていくものなのです。
したがって、
まず、「高望み」から始めよ
ではありませんが。
「こんな願望を抱くのはさすがに「高望み」かな?」
とか
「これはさすがに厳しいかな?」
と遠慮するのではなく、
「高望みだって別にいいじゃないか」
とどこかで開き直ってしまうことも重要かもしれません。
あなたの真の人生は「高望み」から始まるのです。