知識と知恵は異なる……。
そうよく言われますが、
「結局、知恵のある人というのは、知識だけしかない人と何が違うのだろう?」
ということは私もよく考えます。
非常に、個人的なイメージとして、
単に知識しかない人は、新しく出てきた未知の問題に対して対処できないけれども、
知恵のある人は、そのような未知の問題に対しても、打開策を思いついたり、面白いアイデアで乗り切ったりすることができる人、すなわち、既存の知識から新しい解決方法を生み出せる人といったイメージです。
しかし、いきなり「未知の問題」を差し出されて、解決策を考えてください、と言われただけですぐに知恵が出てくるといった状況はなかなか想像できません。
むしろ、
前にもこのような未知の問題があったけど、○○という方法でなんとかクリアした
といった成功体験を既に持っている人の方が、
「あの時は、○○という方法でなんとかしたけれども、今回も似たような発想で解決策を編み出せるのか?それとも全く別の観点での検討が必要なのか???」
といったことから経験に基づいて考察を深めて、新しい知恵を編み出しやすいのではないか?
と私は考えています。
すなわち、
「未知の問題A」「未知の問題B」「未知の問題C」・・・・・・
といった形で、
様々なタイプの未知の問題、難しい問題に挑戦し続けてきた人の方が自らの経験や知識をもとに新しい知恵を生み出しやすいのではないか、と考えています。
このような人は同時に、
あらゆる困難を経験し続けている人、とも言えそうです。
漫画やアニメの世界のように、
「よくわからないけれども、私には才能があったので楽勝でした」
と、自らの才覚を発揮し、余裕ぶっているキャラクターはそれはそれでその有能性ゆえの魅力がありますが、
このようなタイプの人は、困難に直面し、それを克服したり乗り越えるといった経験は乏しいとも言えるでしょう。
むしろ、このような「余裕でした」というタイプよりも、
あらゆる困難を経験し続けている人
だからこそ、新しい知恵の着想を得やすいのではないでしょうか?
現実の世界で言うと、
就職活動の際に、学歴が低いがゆえに、自己PRを工夫しなければ書類選考が通らないタイプの学生が存在しますが、
このようなタイプの学生の場合、高学歴で特段の工夫無しに書類選考が通ってしまう人よりも、「学歴が高い人のアピール力に勝るためにはどうすればいいのか?」といったことを考えざるを得なくなります。
自己PRを工夫しなければ書類選考が通らないといった困難に直面しているからこそ、
「この部分をもう少し工夫すると良いのではないか?」
といったことを考えざるを得ないわけですので、
そこから新しい知恵やアイデアなどが生まれるきっかけにもなり得るのです。
その困難さの難易度が高ければ高いほど、
「こんなの不可能」
「こんなのムリ」
と考えてしまいがちですが、
そのような困難に対峙している人だからこそ、新しい知恵を生み出さざるを得ない、そして、奇跡を起こさざるを得ないのかもしれません。
あらゆる困難への対峙は新しい知恵が生まれるきっかけになるものです。
そのように考えていくと、
困難への直面も一種の財産になり得るものなのかもしれません。