多くの日本人は、夏休みの宿題に取り組んだことがあります。
そして、そのような夏休みの宿題に対するスタンスはその人の普段の行動や考え方が反映されるものであり、人生に大きな影響を与えていることでしょう。
このような夏休みの宿題に対する取り組みについて、色んなスタンスの人が世の中には存在するわけですが、
その中に、
そもそも、夏休みの宿題を敢えてやらない人
というのも存在します。
すなわち、夏休みの終盤に入って、ズルズルとやらなくなって結局取り組めなかったというわけではなく、
夏休みの宿題を目の前に出された瞬間に、
「これは私が取り組む必要がない」
と判断し、実際に取り組むことをやめる人たちです。
これは、そもそも、
目の前に出された課題に対して、
「これは私にとって重要な課題ではない。スルーしても良い課題だ」
と判断できている状態です。
すなわち、重要な問題である、第一領域や第二領域の活動ではなく、重要な問題ではない第三領域や第四領域の活動であるということですね。
よく考えれば、夏休みの宿題の趣旨というのは、
夏休みが始まる前に学習した内容を復習させたり、定着させたりするための取り組みである場合が大半なのですが(自由研究などはまた趣旨が変わりますが)、
この趣旨を大事な物と考えたとしても、手段の面で夏休みの宿題に取り組む必要はない場合もあるのです。
むしろ、学校から指定されたテキストの内容を勉強するよりも、別の手段を用いた方が効率的である場合も存在するのですね。
このように、
「これは問題だから解決しなければいけない」
と目の前に差し出されたものに対して、
「これは実はそもそも重要な問題ではない。よって、解決するために労力を費やす必要がない」
と判断できるか否かというのはこれからの時代においてもとても重要であると言えるでしょう。
同じような話として、
世間では問題とされているが、実はさほど重要な問題ではないということ
もおそらくは存在することでしょう。
例えば、少子化問題などはどうでしょうか?
近年は、ずっと「少子化問題」と騒がれており、色々と対策を練っているようですが、これは夏休みの宿題のようなものです。
夏休みの宿題は夏休みが終わって提出するまでは大きな問題として存在感を放っていますが、秋になってしまえば忘れられてしまう物でもあります。
それをわかっていて、
夏休みの宿題を敢えてやらない人たち
は対応をしているのですね。