多くの人にとっての悩みは
人間関係
にあるようです。
ネットで山ほど見つかるお悩み系の中には
「好きな人がいるのですが、好きな人から私はどう思われているのでしょうか?」
「勤め先の上司から自分は評価されているのでしょうか?」
「勤め先の同僚から自分はどう思われているのでしょうか?」
「隣に住んでいる人と偶に遭遇しますが、ちょっとした挙動が気になります。あの人からどう思われているのでしょうか?」
といった人間関係にまつわる数々の悩みが見つかります。
上記のように漠然と
「自分は相手からどう思われているのかな?」
といったことが気になるというレベルの悩みから
「いつも私が掃除をしてあげていてそれには何もお礼も言わないくせに、自分がごく稀に掃除したときには大してできていないくせに『もっと褒めて』みたいなことばかり言ってきて嫌だ」
「好きな人にプレゼントをあげたら無視された。せめて御礼ぐらいは言って欲しい」
「勤め先の仕事を死ぬ気で徹夜してまで頑張ったのに、大してボーナスがもらえなかったし、特に上司から労いの言葉もかけてくれなかったし、評価も上がってなかった、最悪だ」
「普段から『勉強頑張って良い点を取ってね』と圧力をかけてきた親にテストでいい点をとったと思って見せたら『その程度の点数は当たり前でしょ』みたいな顔をされたし、褒めてももらえなかった」
「SNSで会心の投稿をしたのに誰も『イイネ!』を押してくれなかった。つまらない。」
「自分がないがしろにされているのかわからないが、同僚から何か雑な扱いを受けている気がする」
といった、
相手に承認欲求を満たしてもらえないことに対するイラ立ち
によって機嫌が悪くなってしまっていそうなものもあります。
この手の人間関係の悩みは気にすればするほど、どんどんネガティブな気分になってしまうので身もふたもないことを言うと考えないことが一番良いのですが、
しかし、自分の生殺与奪を握っている相手になってくるとどうしても気にせざるを得ないというのがまた難しいところです。
特に、
子どもにとっての親
や
勤め先における自分を評価してくる上司
などはかなり大きな存在であって心境的にも無視できないという人が多いのだと思います。
何故、そうなってしまうかというと、このような人たちによる評価が自分の生死を事実上決定づけている場合がかなり多いからなんですよね。
村社会においては、その村において村八分にされると危険だという話と同じような物です。
1種の村社会である、家庭や勤め先において自分の評価が低いために自分の生殺与奪を握っている相手に強く出られないし、そのような相手になんとか承認されたくて頑張って努力しているのになかなか努力が報われないという人が多いのです。
頑張っているのに報われないと悲しい気持ちになりますよね。
確かに、村社会だけに目を向けていると、自分が大した存在ではないと思っても仕方がありません。
しかし、一歩でも、村社会ではなく、その外の世界に目を向けてみると、実は自分のことを評価してくれる人がいたりします。
しかも、思っていたよりも高い評価をもらえることがあったりします。
どうしてそういうことが起こるかというと、村社会、すなわち家庭や勤め先においてわざと低い評価を付けて相手の自己肯定感をすり減らそうとしてくるセコい人たちが存在することがあるんですよね。
そういうことをして相手に自信をわざと持たせないようにして狭い村社会でこき使い続けたり、自分の都合の良いように相手をコントロールしようとする人たちが実は居たりします。
もちろん、そんなことはせずに正当な評価を心がけているところもありますが、
残念ながらそうではないところもあったりします。
そして、その村社会だけを見ているとそういう不当な評価を自分がされていることに気づけなかったりします。
したがって、一度外の世界を覗いてみることがオススメです。
そうすることによって、思っていたよりも自分が高い評価をされていることに気づいたりすることもあるのです。
そうすると、村社会の中ではなく、外の世界では自分は十分にやっていけるということがわかるようになってきます。
具体的には上記の記事にて記載したような状況を揃えれば揃えるだけ、村社会において村八分にされるリスクがどんどん減っていきます。
失うことのダメージが少ないタイプの「無敵の人」になっていくのですね。
これは、家庭や勤め先といった特定のネットワークに自分の生活を依存しないようになっていくのと似ています。
こうなっていくと、家庭や勤め先と言った依存対象を最悪の場合切り捨てることが可能になります。
そうすると、
「そもそも、自分を大して評価してくれない人、承認してくれない人のことなんてわざわざ気にする必要なんてないよね?」
という話になってきます。
したがって、実際には依存対象を完全に切り捨てるところまで行かずとも
相手に対して言いたいことをはっきり言えるようになったりします。
こうなってくると、村社会の中に居ながらにして閉塞感を打開し自由を掴みやすくなってきます。
このようなことを考えていくと、
今あなたが一生懸命
「あの人に認められたい」
「評価されるために頑張らなくては」
と承認を求めている相手についても、
「そもそも、あなたを評価してくれない人のことなんて気にする必要があるんですか?」
ということが言えるかもしれないです。
狭い世界では無く、外の世界や他の人にも目を向けてみると景色が変わって見えてくるかもしれません。