現在は、2021年5月ですからまだ21世紀前半です。
経済的自由を目指してからある程度経ってから自分の老後に対する考え方が少しずつ変わってきたと感じています。
まず、金融資産が1000万円ほどしかなかった頃はまだ老後不安という物がありました。
すなわち、老後において自分が生きていけるだけのお金を持てるかがまだ不安でそのための対策を若いうちからしなくてはいけないという半ば義務感のような気持ちでした。
実際に、2019年には老後2000万円問題というのが出てきて、「やっぱり何千万円くらいは持っていないと行けないんだ」という気持ちになっていました。
この頃は、老後=事前に備えておけないと大変な期間という印象が強かったのだと思います。
したがって、長生きしたいという気持ちよりは、長生きしてしまうというリスクに備えなければという危機感のような物が強かったです。
その後、金融資産が2000万円を超えた辺りから、老後に対する漠然とした不安というものがだんだんとなくなっていったことを感じました。
このままある程度稼ぐことができたら、自然とさらなる資産形成が可能になるだろうという目処がついたということでしょう。
むしろ、老後の不安を抱くばかりに現在をおろそかにするのではなく、今を我慢しすぎるのではなく、未来の対策もしつつも今もしっかりと生きていくためにはどうすればいいのだろうかという気持ちに変わっていきました。
その頃から、節約を意識しすぎるのをやめ、手取り年収に対する貯蓄率を下げました。そして、貯蓄率を下げた分は読書などを中心とした自己投資に本気で回すようになったのです。
その頃から、本当の富は金銭ではなく「健康で自由な活動ができる時間」こそにあるのではないか、と確かに感じ始めて、健康寿命という物を意識するようになったのです。
老後における金銭的問題は解決可能であるという認識に至ったことで初めて、第二の老後リスクである健康の毀損について真剣に考えるようになったのです。
そこからしばらくは健康寿命を延ばすためにはどうすれば良いのか、ということを意識して、食事に気を遣ったり、運動を行う為にはどうすればいいのだろうかと考え続けてきました。
そのように、健康面での悪い習慣を少しずつ取り除いていき、逆に良い習慣を取り入れていった結果、健康面で個人的に気を遣うべき項目はどんどん減っていきました。
このように、最初は金銭的な問題、次に健康面での問題に着手していった結果、次に目が向いたのは第三の老後リスクである孤独に陥る問題でした。
そこからは、今までの閉鎖的な人間関係を維持するばかりでは良くないと考えて、コロナ禍ではあるものの、どうすれば家族や友達も含めて自分にとって望ましい人間関係を構築することができるだろうか、コミュニケーションについて工夫の余地はないのだろうか、ということを真剣に考えてきました。
このように、少しずつ努力を重ねていった結果、現時点で私が持っている感覚というのは、「長生きすることはとても楽しみなことだ、できることならば長生きしてみたい」という認識です。
すなわち、一般的な老後リスクをどんどんつぶしていこうと努力した結果、
老後=事前に備えておけないと大変な期間
から
老後=長ければ長いほど楽しみな期間
に少しずつ印象が変わっていったのです。
今では、どうせならば、健康に長生きして、22世紀の到来をこの目で確かめたいという気持ちになっています。
ちなみに、私の生まれは1990年代ですので、100歳を少し上回るところまで生存することができれば、20世紀、21世紀、22世紀という、3世紀分の世界を自分の目で確かめた人間になることができるというわけです。
そして、最近の研究によると、1990年に生まれた女性のうち20%は100歳まで平均的に生きることが可能であるとの試算も出てきています。残念ながら男性はもう少し少ないようです。
要するに、不慮の事故を始めとした不運が続かなければ、上位2割に入るような生活習慣を怠らなければ100歳以上生きることが可能ではないか、と私は考えています。
22世紀が訪れるまでには実際にはあと80年近くありますが、是非ともそのような到来を見てみたいというワクワクした気持ちになっています。
大した内容ではないかもしれませんが、私にとって大きな頑張って生きる目的が一つできた、と感じています。