プロフェッショナル~仕事の流儀~などという語句に代表されるように、プロフェッショナルというと、なんだかすごくかっこいい響きだなと感じます。
私のように、勤め先の仕事を粛々とこなしているだけだと、
「これ終わらせないといけないけど、面倒だな」
とついつい思ってしまい、プロフェッショナル性の欠片も湧いてきません。
もしかしたら、勤め人としての立場がプロフェッショナル性というものを感じないようにさせているのではないか、と考えることもあります。
たまたま勤めた先でプロフェッショナルの精神を高めて、仕事に取り組むことができる人もいるようですが、自分のやりたいこととと勤め先の仕事が一致するという幸運に恵まれないと難しいというのがあるようです。
この幸運を求めて、次々と転職を重ねていく人もいるようですが、個人的には、それは運を半ば天に任せるというところもあるのかな、と思っています。
もちろん、自分なりにしっかりと考えをもって転職をしている人が多いとは考えているものの、特定の勤め先の仕事と自分のやりたいことを一致させるという観点で考えるとやはり、メインのシナリオとしてこれを据えるのは難しいのかな、と思います。
したがって、副業として、あるいは独立して自分のやりたいことでプロフェッショナル性を高めるのが良いと考えています。
初めから、勤め先の仕事において自分のやりたいことと一致すると言うことを期待しないという観点で考えて、自分のやりたいこと、プロフェッショナルになりたい事、のためのトレーニングをする、経験を積むという観点で勤め先の仕事を見ることをメインのシナリオとするのが無難、ということになりそうです。
プロフェッショナルになるということは、まさに何らかの「事」に仕えることであり、作業ではなく、仕事を行うということになるのですから、それだけの気持ちをかき立てるような、「志」を持つ必要があるのかなと思います。
「志」というと、熱い感じがします。
熱い気持ちというと、「情熱」などという語句もこれに近いのかもしれませんが、どちらかというと、信念とか、天命を見いだした、というような方が近いのかもしれないですね。
特に誰からも指示されることなく、志や信念を持って事に当たることができたら、それがプロフェッショナルの入り口に入るのかなと思います。
プロフェッショナルというと、属人的、究極的な個人の力が求められるため、個性の発揮に繋がるのかなとも思います。大資本のみ、マンパワーのみでは太刀打ちできない力を持っているような点に何か心を震わせる物があるのかもしれないですね。
また、『金持ち父さん、貧乏父さん』におけるクワドラントの分類でいうところの、「Sクワドラント」にプロフェッショナル性は分類されると思われます。
同書では、「Sクワドラントであっても、Eクワドラントである労働者と同じく、時間を使わないと所得が得られない」という趣旨の記載がされているため、このような視点で見ると、微妙に感じるのかもしれません。
しかし、Sクワドラントは他人に真似がない事をなすことになるので、自己実現に直結する仕事の分類です。
バランスを考えると、Sクワドラントでアイデンティティを確立し、IクワドラントやBクワドラントで生活のために働く必要性を無くし、Eクワドラントでさらに他人の元で期間限定で修行をする、という配分を行うと良いかもしれません。
E、S、B、I。それぞれのクワドラントの分類においてバランス良く運用ができるように日々投資をしようとする意識が大事になるのかもしれませんね。
そして、私は今までIクワドラントに投資すべく、経済的自由を目指してきているわけですが、今回のようにSクワドラントに分類されるプロフェッショナルについて関心を持っているということは、無意識に少しずつ他のクワドラントに投資を積み上げる必要性を感じ始めているのかもしれないです。