私はこのブログに加えて日記も普段から書くことを心がけています。
大した量ではありませんが、なんでそんなことを続けているのかと言われれば、
まずは、ブログや日記によって①記録を取ることができるからです。
人は過去のことを振り返るときにまず何をするでしょうか?取りあえず、記憶を探ってみますよね?
でも、1年前の事ってそもそも覚えていますか?という話です。10年も前となったらあまり覚えていない可能性が高いです。
しかも、記憶をしたからと言ってもそれが事後的に改変されてしまうこともよくあるのです。
冤罪関係の本を読んでいるとわかりますが、容疑者とされた人物が最初は犯行を否定していたのにもかかわらず長時間の取り調べの果てに自分の記憶を改変されてしまい、犯行を自白するに至るということもよくあります。
それほど、自分の記憶に頼るのは適切ではないと考えられます。
記憶ではなく、代わりに、記録に頼ることが重要です。
記録を事後的に検索をすることができるようにしておけば、過去の事もより想起しやすくなり、記憶の改変の余地も少なくなるためです。
要はレコーディングのために日記などを使うことができるわけですね。
また、もっと上級な使い方としては、日記を書くことによって、②「体験を経験化することができる」ということがあります。
例えば、日記と言っても、「今日は晴れだった」とか、「夕ご飯はハンバーグだった」という単なる事実のみを書くことも可能ですが、これだけだと体験にとどまります。ただの記録でしかありません。
「今日は、夕ご飯をハンバーグにしてみた。量を100gから150gにしてみたところ、腹持ちも良かったのでいつもは夜食を食べたくなるような時間帯であっても小腹が空かなくなったし、食べた直後に睡魔が襲ってくるわけでもなかった、私にとってこのぐらいの量を食べるのが良いかもしれない」
という形で、一定の考察を加えたり、教訓を考えてみることで、次回も同じ行動をするのがよいのか、それとも改善の余地があるのか、と試行錯誤をすることが可能になるわけで、このような作業を行うことが「体験を経験化する」ということではないか、と考えています。
もちろん、この前提として、自分の中に何らかの課題や問題点を予め考えておく必要があります。
上記の例で行くと、若干曖昧ですが、「夜食を食べたくなるような時間帯であっても小腹が空かなくなった」という記述からダイエットなどを意識しているのかも?ということが推認できますし、「食べた直後に睡魔が襲ってくることもなくなった」という記述から、食べた後に眠くなってしまうことがあるということに問題があると認識していることは読み取れると思います。
もしかしたら、このような文章を書く人は、夜に勉強や仕事をしなくてはいけないから夕食を食べた直後に眠くなってはいけないという意識と同時に夜食を食べるという形で暴飲暴食をすることを健康維持や体型維持のために避けたいという思いがあるのかもしれないということが想像できると思います。
このような人もいれば、夕食を食べた後は特にやることがないため、眠くなっても全く問題だとは思わないという生活様式の人もいると思います。このような人は上記のような日記の記述はそもそもしないと思います。
このように、課題や問題点というのは人それぞれで異なることがあると思いますが、それを洗い出した上で、「体験を経験化する」という作業を行うツールとして日記は非常に重宝します。
日記を毎日書いて「体験を経験化する」ということはすなわち、毎日自分の課題について何らかの考察や試行錯誤を続けていると言うことを意味するわけですから、その人が持つ目標を達成する可能性が高まると思われます。
すなわち、日記を毎日書くことで、目標達成にどれほど自分が近づいているのか、という視点で自分自身をモニタリングすることになり、端的に言うと夢や目標が叶いやすくなるわけです。
それに加えて、さらに上級な使い方としてはブログや日記の効用として上げられるのが③メンタル・スタビライザー、すなわち、精神安定化装置としての機能です。
これは嫌なことがあったりしたときに強力な効果を発揮します。
人間は生きている限り嫌なことに多かれ少なかれ直面します。とはいえこの嫌なことというのはその人が持つ物事のとらえ方、解釈の仕方によって導き出された評価に過ぎません。
国語の時間や英語の時間に事実と評価は区別して文章を読みましょうと散々言われたことがある人は多いので、文章を読む際にそのようなことを意識している人は多いと思いますが、文章を読むときのみならず日常風景の中であらゆる事実がおそってきた際に、それに対する事実に対してどういった評価をするのか、というある種の自分自身の癖に対して逐一自覚的になる必要があると思います。
このような日常的な事実に対していかなる評価をするのか、どのようなとらえ方をするのか、ということをいちいち考えることによって、すなわちリフレーミングの作業を行うことによって、一般的にはネガティブと思われがちな事象に対してもポジティブなとらえ方をすることが可能になります。
そして、このリフレーミングのトレーニングを日記を書くことで続けていくことによって、夢を叶えやすくなるのと同時にポジティブな生き方が可能になるという強力な効果が生まれるのです。
これは自分の中で何らかの課題に直面し、嫌な事実がおそってきた際に、それに関してブログや日記を書くことによって原因分析を図ってそれを次に活かすという「体験を経験化する」という実践的な取り組みに加えて事実に対してポジティブになれるので、気分良く目標達成に向かって努力できる、人生を楽しみながら努力を積み重ねることが可能になる、という素晴らしい効果が発揮できるということではないでしょうか。
どうせだったら人生は楽しみたいし、やりたいことはやりたいし、夢は叶えたいし、努力が必要であっても目標は達成したいわけです。
それを助けるツールとして、ブログや日記というのは強力なその人にとっての武器になるのではないでしょうか。