最近、改めて人間関係について考えることが増えました。
私は今まで経済的自由を達成することにフォーカスしてきましたので、正直なことを言うと、友達などと言う存在には関心が極めて低かったです。
はっきりと言ってしまえば、自分のことをやっていたら友達がいなくてさみしいという感情が湧いてくる時間がありません。
しかしながら、最近は、お金では買えない物について考えることが多く、改めて人間関係を構築することの大切さを再検討しています。
というのも、例えば、災害などの時が典型的ですが、お金をいくら持っていても、例えば10億円くらい持っていたとしても、すぐにATMから引き下ろせないという事態はあり得るのであってその時に頼りになるのは人間だけです。
また、人によっては年収などが低く、お金などがさほどないものの、人間関係が豊かであることによって生活に支障の無い状態を作れている人もいます。
これは田舎暮らしが典型例ですね。彼らはお互いに顔を知っており、仲が良いために、食べ物などを融通し合うことが可能で有り、その中で生活が完結してしまう限り、貨幣市場から商品を調達する必要がありません。
究極的なことを言えば、友達が7人くらいいれば、週1回のペースで泊めてもらうことを約束するなどの方法で、家賃を払わずに住居を確保する等と言うことも可能です。
しかし、人間関係によって確かにお金なくして生活をすることは可能ですが、その代わりに「何かしらの対価」を支払う必要が出てきます。
人間関係というのはよっぽどの条件が整っていない限り、長期的な関係を結ぶためにはwin-winの関係を結ぶ必要があります。
したがって、友達に泊めてもらえるという状況を作るためには、事前あるいは事後的に何らかの対価を支払っていることになります。
それは一週間前に友達のレポートを手伝ってあげただとか、泊めてもらうときにご飯を代わりに作ってあげるだとかそういったところに現れるかもしれません。
しかも、このような関係を作るためにはある程度その友達と関係を構築するための時間も投資する必要が出てきます。
そうすると、始めから「友達などに頼ってお金無くても生活できるようにする」という状況を作るためだけに頑張るとなると、特定の人物に対して時間等を始めとした何らかの投資を行わざるを得ません。
この特定の人物というのが、非常に優秀で毎回家に泊めてくれるだけではなく、お金なども援助してくれたり、より良い人物を紹介してくれるような人であれば、そのような投資はいわゆる「成功した」ということになるでしょう。
しかし、そもそも適当に選んだその特定の人物がいつでも、投資先として有用か?と問われるとその確率が高いとは言えないのではないでしょうか。
場合によっては、投資先の人物が「悪友」という場合もあり得るのです。
そのような人に投資をし続けていると、自己投資のための資源も足りず、しかも、紹介される人も微妙な人物ばかりと繋がりが生まれ、人生が暗転することもよくあるのです。
これは田舎などで違法薬物に手を出すときによく見られますが、違法薬物に手を出している人というのは大抵その友達や先輩なども違法薬物にかかわっています。
しかも、それ以外の人間関係がそれまでに広がっていなかったら、たとえ、違法薬物に手を出してしまったことを反省し、更正を誓ったとしても、いわゆる「悪い友達」によって影響を受け、再び犯罪に手を染めてしまうということも十分にあり得ます。
とすれば、優秀な特定の人物に投資すれば、友達になればいいのではないか、と思われますが、
人間関係は「類は友を呼ぶ」という言葉があるとおり、同じようなレベルの人でなければ深い関係になるのはそもそも難しいです。
たとえ、知り合いになれたりしても、「挨拶をちょっとしただけ」の中で終わる可能性が高いです。
偶に、人脈作りのために、交流会などに行って名刺交換を頑張る人がいますが、それを頑張ることは優秀な人と仲良くなるきっかけを作ることは可能ですが、続くような関係を構築することができるかと言われると疑問符がつきます。
相手も暇ではないので、名刺を受け取っただけでその次の日には忘れられていると言うことがよくあるため、仲良くなるためには、まず自分のレベルを上げる必要があります。
そして、自分のレベルを上げること、自己投資を行うことも重要ですが、
より重要なのは、人間関係の負債を作らない、つまり、微妙な人とも関係作りをしないようにすること、
すなわち、歩留まりが低い投資先に時間やお金始めとした資源を投入しなければいけない状況をそもそも作らないことだと私は考えています。
優秀な人と人間関係作りを行うことを人間関係における有望な資産を積み上げることであると考えるとすると、微妙な人すなわち、人間関係の負債のようなものを最小限にカットできるようにしておくということが重要ではないでしょうか。
金融商品においてもいくら頑張って投資を行ったとしても、その金融商品が微妙な利回りしか期待できない物であるならば、ポートフォリオから外すか、投資資金をいくらか引き揚げる必要があります。
金融商品と同様に、人間関係においてもポートフォリオのようなものを考えることが重要だと思います。
しかし、問題は、この人間関係の負債をカットした上で、人間関係の資産を形成するののは、金融商品のポートフォリオを構築するよりも比較的難しいと言うことです。
例えば、職場において、生活のために労働している場合、上司や同僚と仲良くしないわけにはいきません。
下手をしたら解雇される危険性があります。
彼らと関わっているのは、人間関係における負債でしかないと判断したとしても直ちにその関係を断ち切るのは難しいでしょう。
もしも、回り回って解雇などされたら困る、というようなことを考えている場合、飲み会なども毅然と断るのも気持ちとしては難しいかもしれません。
これはつまり、自分の生活が現状において特定の人間関係に依存している状況だと思われます。
したがって、まずはこの特定の人間関係に自分の生活を依存している状況を打破することが重要になります。
もしかしたら、この際、人によっては転職するという手があるかもしれません。すなわち、新しい職場などに移ることで強制的に特定の人間関係に依存している状況を打破して新しい職場の人間関係に期待するわけです。
しかし、これは当然ですが、新しい職場の人間関係に生活が拘束されているという状況は変わりません。
新しい職場の人間関係が良ければ何の問題もありませんが、運を天に任せるのとこれは大差ないのではないでしょうか。
しかも、転職というのは自分の現在レベルが如実に表れるので、その勤め先で自分のレベルが上がっていない状態で逃げるように転職をした場合には、より悪い状況に陥る危険性もあります。
逃げるために転職するのではなく、ポジティブな理由で転職しなさいとよく言われますが、これは人間関係の面でも影響がありそうです。
やはり、一番確実なのは、経済的自由を達成してしまうことでしょう。
経済的自由さえ達成してしまえば、自分の生活が現状において特定の人間関係に依存している状況は打破できるため、転職しようがしなかろうが事実上人間関係の負債をカットできる状況が作れます。
そこから、自己投資を進めれば自分のレベルを上げることができるので、転職してもいいところにいけるかもしれませんし、何よりも、転職先の人間関係においても依存しないので、安全そのものです。
このような方法によって自分の生活が現状において特定の人間関係に依存している状況をまずは取り除いて、人間関係の資産形成を進めていって、適切な人間関係のポートフォリオを構築するために投資するのが最重要かなと思います。
適切な人間関係のポートフォリオとは、要するに、自分が主体的に他人との距離感を設定できる状況をさします。
能力という観点で見ると、この人とはすごく仲良くしたいけれども、この人とは最低限の関わりのみにしておきたいという漠然とした思いを適切に自分でコントロールする力でしょうか。
このようなコントロール力というのをいわゆるコミュニケーション戦術のみで達成させることができるひともいるのかもしれませんが、
自己投資による自分のレベル上げと、経済的自由の達成という、その他のパラメータ、ステータスを適切に上げておいた方が、確実にこれを習得できると考えています。
自分の純粋なコミュニケーション能力のみに頼るのではなく、自分の周辺の状況をまずは変えてしまう、これを土台として、人間関係を構築するのがもっとも確度高く人間関係のポートフォリオを組むことができるのではないでしょうか。
そう考えると、「人間関係って大事だよね」とよく言われますが、やみくもに「じゃあなるべくみんなと仲良くしよう」と考えて適当に集中投資するのは微妙であることが分かると思います。
社会資本には最低限レベルに投資を細々と行いつつも、人生の前半期では人的資本や金融資本に比重を置いてこれをある程度育ててから、その後に社会資本に多めに、集中的に投資するという順番がもっとも適切かもしれません。
人的資本も金融資本も社会資本もすべて幸福の源泉であり、これらは大事な概念になりますが、適当に投資を行っても資産形成は難しいことから、まさに「戦略とは順序である」ということになりそうです。