仕事そのものをもっとより良く遂行しようと思った時に考えなければいけないのは同僚の存在です。
個人事業主として、フリーランスとしてたった1人で仕事をしなければいけないのでなければ、必ずいるのが同僚ですね。
勤め先にもよりますが、一つの部署という場所で特定の人たちと定期的に仕事を回しているというパターンもありますね。
しかし、仕事そのものに慣れてしまうと私のようにこの仕事面白くないなと思ってどうしても萎えてしまいます。
これは、おそらく仕事自体に面白みを期待し過ぎていることから生じるのかなと思います。
現代社会で特に勤め先で働く場合はどうしても、全体的な仕事をするよりも、部分的な仕事を分業としてこなすことが求められることが多く、
「今私何やっているんだっけ?」と思わずにはいられません。
これは、私だけではなく、他の人も同様に思っていることだと思います。
特にバックオフィスにいる人は「ありがとう」とか言われる機会がなさすぎて萎えているかもしれません。
自分のやっている仕事の意味合いが正確に把握できないまま、年に数回しかないボーナスや人事面談で初めて自分の評価が判明するという人もいます。
まさに、歯車の一つとして働いている状態ですよね。
このような仕組みの勤め先で働くと、ボーナス含めた、給料の額や、昇給という形での社会的地位というご褒美が降ってこない限り自分が頑張ったなという気持ちになることは難しいでしょう。
そして、組織としての勤め先が勤め人に直接与えることができる報酬は、給料と社会的地位の付与くらいしか実際にはありません。
毎日の具体的な頑張りに対するフィードバックなどは、組織ではなくその勤め先にいる同僚以外からは与えられることはありません。
これは逆にいえば、このような観点で、気の利いた同僚が周りにいないと、なかなか仕事によって喜びを得ることが難しい状況に陥るということを意味していると思います。
普通の人は同僚なんかよりも、自分がいかに評価されているのだろうかということばかりを気にしがちです。
そのため、同僚のことを定期的に褒めてあげたり、感謝の気持ちを実際に伝えることができる人というのは、仕事そのものができなくても十分すぎる価値があると思います。
例えば、職場に女性社員がいるだけで男性社員のモチベーションが上がるという話がありますが、別にそのような女性でなくても、同僚を褒めてあげたり、励ましてあげたり、感謝の気持ちを伝えることが習慣化されている人というのはそれだけで極めて貴重な人材だと思います。
はっきり言ってしまうと、仕事そのものを遂行する能力よりもこのような能力の方が極めて重要かもしれません。
というのも、こういう人は企業の業績が傾いて整理解雇、すなわちリストラが行われたとしても何故か指名されないことが多いようなのです。
何故かリストラしようと思えない人になることができれば、人生における様々なリスクを最小限に抑えることができますね。
しかも、このような人は、普段から同僚に助けてもらえることが多く、仕事自体も極めてやりやすい立場になりやすいと思います。
特に、勤め先において、他人を褒める習慣がついていない人が大半の場合は、強い差別化要因になると思います。
頑張って働いているだけでは、勤め先からは限られた給料と社会的地位しかもらえない中で、自分のことを高頻度で褒めてくれる人がいるならば、これは求めてもなかなか手に入らない絶大な報酬となるわけです。
勤め先のためというよりは「この人のために働きたい」と思うようになるのも時間の問題でしょう。
勤め先における場合に限らず、他人を褒めることが習慣づいている人は仮にお金が足りない状態でリタイアしてもきっと生きていけるはずです。
なぜなら、これは普遍的なスキルのようなものですから、本人が直接金を稼ぐことができなくても徳を積むことが可能であり、これによって、人間関係という社会資本を積み上げることができるため、もうこれだけで助けてもらいやすい人になりやすく、金がなくても生きていくことが可能だからです。
このような意味で、他人を褒めたり感謝を伝えたりするスキルというのは社会資本を積み上げるための重要なスキルであり、普遍性のあるポータプルスキルのようなものですね。
どんな職場でも、どんな社会でも通用する普遍性のあるスキルを積み上げられるという意味で、もしかしたら、単純に仕事の遂行のためのスキルのことばかり考えるよりも、同僚を褒めたり、感謝を伝える能力を高めることの方が大事ではないかと改めて思いました。
何よりも、他人を褒めたりした場合に、相手が嬉しそうな顔をしてくれるのがとても気分が良く、このような一つ一つの行動こそが徳を積むことにつながっていると実感できるのが良いですね。