体調が悪かったので、読書はお休みして、家でひたすら寝ていました。
体調が悪かったと言っても、
ちょっといつもよりも疲れやすいかな?
ぐらいの感覚ではありましたね。
とはいえ、読書を真面目にやろうと思ったらそれなりに集中力を要するので、なんだか疲れているような気がするなあといったコンディションだとまともに文字が頭の中に入ってこないという感覚があったので、やはり休んだ方が良いという判断です。
私としては情報収集の手段としての読書が好きですし、できることならば大量に読みたいなと考えてはいるものの、
例えば、
「一日●冊本を読み続けます!」
といった目標を下手に立ててしまうと、今日のように体調が悪いときには、読書の数をやみくもに増やしたところで結局頭に入ってこないため意味が無いと考えています。
変な数字目標を立ててしまうと、本末転倒な結果になりかねないのですよね。
それに、免疫力が下がっているときにはそのまま変な病気にかかってしまいやすい事も考えると、やはり一番は、健康や体調を優先するべきだと考えています。
いわゆる意識高い人にありがちなのですが、どうしても、若い内は無理がきいてしまうので、いつのまにか頑張りすぎてしまう可能性があります。
もしかしたらそのうちウェアラブル端末などの形で自分のHPやMPが可視化されるような世界が来るのかもしれませんが、
今のところは、可視化されていないので、自分でしっかりと体調の状況について把握できるようにする必要があります。
とはいえ、
認知能力が下がっている人は自分の認知能力が下がっていることに気づけない、
休まなければ行けないのに、自分が疲れていることを自覚できない(自覚できた頃にはもはやかなり重症になっている)
といった事も起こったりします。
したがって、感覚としては
もう少しだったら頑張れるかもしれない
などと思った時点でちゃんと休むという意思決定基準を持っておくことが重要ではないかと考えています。
こういう疲れをそもそも自分では知覚できないという前提で予め基準を設定したり、
そもそも、就寝する時間を規則正しく決めてしまう、
といった工夫は重要になってくるのではないかな、と考えています。
特に現代社会は、肉体労働以外の労働も増えてきており、そういった労働をしている人の場合、なかなか自分では疲れを感じにくいのではないかなとも思っています。
何かをやろうとする場合、自発的なのか非自発的なのかにかかわらず、認知能力を使用することになります。
したがって、認知能力が枯渇してきたら一旦活動を中止して、その回復に努めることが重要でしょう。
端的に言うと、ベッドの上で横になったり、仮眠を取るだけでも、認知能力についてはかなり回復します。
やってみるとわかりますが、やっぱり寝るという行為は有用です。
もちろん、適当な場所で寝るということはできないため、
寝床を自分の活動拠点の近くに確保できているのか、といったところからチェックすることも重要かもしれませんね。