2021年4月25日から再び緊急事態宣言が出るようです。大変ですね。
早くも一年が経ってしまったのだなと思うのと同時に、コロナの完全収束というのはなかなかすぐには期待できないという印象です。
そんななか、私の中では「もうお酒を飲みに行くという意義はほぼ失われた」という感覚になっています。
普段はミネラルウォーターを飲むようにしており、もはやお酒を飲む意義がよくわかりません。
そのような感覚ですので、偶にテレビで見かける「酒を飲みたくて仕方が無い人たち」というのを割と不思議な目で見ています。
お酒を飲まないと行けない実際的な理由というのが私の中で思いつかないからなのかもしれません。
「お酒を飲んで酔いたい」という気持ちがよく分からないからです。コミュニケーションをしたいならば、酔う必要も無いと考えています。
動物も酒を好む場合があるようですが、お酒が欲しくてたまらないだとか、週に何回も飲み屋さんにいけないのは嫌だという人を見ると、まるで動物のような人に見える、という感覚です。
あとは、パチンコや宝くじを買う人もよく分かっていないです。期待値などを計算すると割に合わないのは既に指摘され尽くされています。
あとは、タバコもそうでしょうか。健康に害になるという話はもはや出尽くされていると考えられる中で、敢えて吸おうとしている人の感覚がよくわかっていません。
これらは一度手を出すと、依存症になりやすいという特性があり、無意識に私はそれを恐れているのかもしれません。
基本的に私はスマホもそうですが、悪いタイプの依存症に突入しかかっているとぼんやりとでも感じたら対策としてその元を絶ってしまうようにしています。
具体的には、スマホなども隔離してしまい、触れないようにして気持ちを落ち着かせたりすることがあります。物理的に触れなければ禁断症状はどうしても出てしまうとしてもしばらくすると、すぐにスマホに触れることができない環境に慣れるのです。
もしかしたら、世間一般的にイメージされているこれらの「悪いタイプの依存症」にハマってしまった場合、時間とお金がそれに吸い取られてしまうことから、人生を無駄にしている、浪費してしまっているという感覚がぬぐえないとして、良いイメージを持っていないと言うことなのかもしれません。
私にとっての喜びは酒に酔ったりして一時的に夢見がちな気分になることではなく、自分の努力によって成果を出したり結果を出したり、運命を切り開いたり、変化を起こすことができた瞬間に訪れます。
この喜びは一時的な酒やタバコやスマホによってもたらされる気持ちよさとは異質のものであり、自分の人生を創りあげているという感覚を伴う物です。
一時的な快楽、気持ちよさに引きづられて、依存症になり、自分の人生を創りあげることができない状態に対しては、まるで動物のように適当に生きて、適当に亡くなっていくというようなイメージがあるのかもしれませんね。
私は気がついたら生まれてしまっていましたが、どうせ生まれてしまったのだったら、動物的な生き方ではなく、人としての生き方を追求したいと考えています。