人生は基本的に難しいなと最近感じています。
お金が欲しいなと思えば、なかなか給与の良い勤め先に就職することが大変ですし、
時間が欲しいなと思っていきなり無職になるのも躊躇する人も多いでしょう。
できれば、「給与も高くて、やりがいのある仕事もできて、しかし、やりがいのなさそうな仕事は簡単に断ることができて断っても相手から嫌われず、自分が好きな工程を建てて仕事を進めることができて、しかも仕事をやりながら自動的にキャリアやスキルも高まって、部下やお客様から尊敬もされるがしかし依存や利用もされたくないし、働く時間や場所は好きな所を選べてリモートワークし放題、休暇についても好きなタイミングでとることができて、自分の意見を堂々と勤め先で述べたらそれが配慮されてやり手だと思われるが、とはいえ個人的な自己研鑽のための時間も勤め先が与えてくれて、周りの人からも好かれて自己実現が果たせて・・・・・・」などとわがままなことを考えると本当にきりがありません。
細かい話をすると、いちいち、電話をかけられてしまい集中力を途切れさせられるのは嫌だがこちらの用事がある際には先方に電話をかけることによってすぐに話を解決したいなどという一方的なわがままなことも思ったりすることもあります。
このような「私が考えた理想の勤め先」というのはほとんどないというのが現実です。
通常は、
「給与が高いが労働時間はやたら長く激務」
「ワークライフバランスは整っているが、仕事にやりがいはないし、給与は低い」
などといった一方建てれば一方建たずという状況、トレードオフで物事を考えるべきというアドバイスが為されると思います。
たまには、「給与も高いが労働時間も短く、時給が高い」
といった勤め先もあるようですが、これを手に入れるのは学生時代からの綿密なキャリア計算という名の結構な難易度が予想されます。
では、私たちは上のようなわがままな「私が考えた理想の勤め先」をあきらめるしかないのでしょうか。
トレードオフとして、「A or B」で考えるしかないのでしょうか。
例えば、
A「仕事を上司から振られ過ぎるのは労働時間が長くなるから嫌だ」
というのと、
B「しかし、断ってしまうと『気の利かないし態度が悪いやつ』『頼りにならないやつ』と思われて嫌われてしまうからそれも嫌だ」
と思っていたとしたら、真面目に働いている人は「Aを諦めてBを選択する」でしょうし、
比較的自分本位な人は「嫌われてもかまわないし、とにかく労働時間が長いのは嫌だ」という動機から「Aを諦めてBを選択する」という方針をとるでしょう。
これらは実は両方とも「A or B」の発想をしているという点では一緒のことを考えているのです。
違うのは、何を重視してどちらを選んだのかという点だけです。抽象的に見れば大差ないことをしているのです。
そこで私が思ったのは、「A and B」の発想、すなわち、「いいとこ取り」の方法を何らかの形で手に入れることは実は不可能ではないのではないかという素朴な疑問です。
上の例で行くと、「上司から振られる仕事を自由に断ったり受け入れることはできるし、しかも、全く嫌われない」
という状況が「A and B」の状況に該当すると思います。
「いや、ありえない。それができたら苦労などしない」
という声が聞こえてきそうです。
しかし、勤め先で「自分にしかできない役割」を手に入れることができれば、上記のように「上司から振られる仕事を自由に断ったり受け入れることはできるし、しかも、全く嫌われない」というような状況を創ってしまい、「勤め人であっても自由を手にする」ということは不可能ではないのではないか、という仮説を立てています。
そんなまるで魔法のような、荒唐無稽な話を実現するために必要になると思われることは、
上記のような「A and B」の発想、すなわち、「いいとこ取り」の方法を何らかの形で手に入れることはできないだろうかという自問自答です。
普通の人は「A and B」ではなく、「A or B」で考えてしまう癖がついてしまっていると思います。
しかし、「A or B」で発想が止まっている限り、発展はあり得ないと思います。
Aというテーゼ、Bというアンチテーゼが存在し、これをアウフヘーベン(止揚)させ、Cというジンテーゼによって新たな活路を見いだすことが初めて可能になります。
このような弁証法を用いることができないのか、ということを検討する際に、「A and B」の発想、すなわち、「いいとこ取り」を何らかの形で手に入れることはできないだろうかという問いを立て続けることは必須になります。
具体的に、うまいことをやるためにはおそらく抽象的にはコミュニケーション能力を高める必要があるでしょう。
2021年も始まったので、今年はこのようなイノベーティブな「魔法」をさまざまな分野で習得できるようになりたいと考えています。
一見、解決不可能と思われるこのような高度な知的なパズルゲームのようなものを解くことができたらきっと人生はもっと楽しくなると思っています。