今の勤め先で頑張るべきなのか、それとも、転職してしまうのか、それともさっさとFIREをしてアーリーリタイアしてしまうのか、という辺りで地味ながら迷いの気持ちを抱き続けてきました。
自分の仕事に対する興味関心がどうしても確かなものになっていなかったり、「なんか、微妙に、何かが違う気がする」といった言語化しがたい微妙な気持ちとともにここ2年間近く今の勤め先で頑張ってきました。
勤め先で今まで頑張ってこれたのは、自分という資産を積み上げるためだという認識でいたからではあるものの、しかし、それは取りあえず、給与がそこそこもらえるだとか、社会的地位は確保されるだとか、与信が確保できるとか、同僚などと人間関係を構築することが可能であるなどの周辺的な理由が主であって、確かに、偶にやりがいあるかも?などと感じる仕事が来たりすることはあり、その時は気分が良くなるものの、とはいえ、全般的に見るとイマイチ、テンションが上がらず仕事に対して全力を尽くしきれない、本気になりきれないという不完全燃焼のような気持ちを抱いていました。
しかし、ここに来てようやく、仕事そのものに対する関心が少し生じてきました。今の勤め先でいつもやっている仕事を取り組む理由です。
おそらく、今までは、「結局、この仕事がうまくできるようになったら何か私にとって良いことあるんだろうか・・・・・・?ずっと続けるのは時間がもったいないのでは?」というような視点で考えていて、しかし、正直何も思いつかなかった、という事があったのだと思います。
そのため、イマイチ仕事そのものに対する関心を伴いにくく、忙しい中でもどうやって面倒な仕事を効率よく処理してしまうのか、という心が渇いた状態で取り組んでいたと思います。
そして、効率化できた業務もありましたが、しかし、効率化できたところで「それで?」といった気持ちがどうしてもぬぐえなかったのです。
これはやはり、「仕事を効率よく処理できた自分」に対する関心しか存在せず、仕事そのものに対する関心が著しく低かったことによるのでしょう。
そのような心が渇いた状態でしたが、そのような中でも今の仕事を頑張るべき理由をわずかながらでも見つけ出すことができたのは私にとっては好機かもしれません。
もともと、経済的自由を私が目指していた理由の中に、生活のためにやりたくもない労働を一生続けなければいけないというつらい状態は嫌だというネガティブな動機が少なからずありました。
このような動機は、厭世観ともいうべき、「どうせ、勤め人にとってやりがいのある素晴らしい仕事なんて現実的にはほとんどないんだろうな。好きなことを仕事にできる人なんてごく一部だけなんだ。」という世界認識から生じていたと思います。
逆に言えば、どこかで楽しくてやりがいを感じられる好きな仕事でずっと頑張れたら嬉しいなというあわよくばの薄い願望は自分の中に一応存在していたのだと思います。
しかし、そのような仕事には現実的にはなかなか出会えないのだろう、という現実的かつ悲観的な想いが私をリスク回避の道へと推し進め、この想いが早期の経済的自由の達成を目標として掲げる動機ともなったのだと思います。
要は私の仕事に対する理想や期待はもともと高く、しかし、同時にどうしても割り切れない、妥協できない、という想いがあったのです。
そのため、たとえわずかであっても仕事そのものに対する関心が生じてきたのはラッキーだととらえてもうしばらくは今の勤め先での仕事を頑張ってみようかな?と改めて思いました。