色々とやっている中で、自分の仕事の中で重要な要素を占め、価値を出せている点というのは、
相手自身が持つ固定観念を解除すること
なのではないかと感じることがあります。
固定観念というとなんとも難しい表現ですが、
もっと平易な表現で言うと、
思い込み
とも言えそうです。
以前にも、いわゆる「無職」という状態について、悪いイメージを持っているとしたらそれはただの思い込みに過ぎないということも書いています↑
自分自身が無職になることを過度に恐れている人が世の中には結構いるようなので、このような話をしていました。
この仕事の難しいところは、そもそもクライアント本人は自分の思い込みについて全く気づいていないことが多かったりするため、
それをまずこちら側が気づいたり、察したり、推認する必要があります。
しかも、相手が自分の固定観念や思い込みにつき
「私は○○と考えがちな事があって~悩んでて~」
とストレートに話をしてくれればわかりやすいのですが、
しかし、残念ながら、大抵の場合そのような展開になることはありません。
どちらかと言えば、自身の固定観念や思い込みを暗黙の前提としてそれとはあまり関係のない話をされたり、相談されることも多いので、
そのように一見関連性が薄い事実や話の展開から相手の持つ固定観念や思い込みを推認して、自分なりの仮説を立てることが必要になります。
これについては、そもそもご本人がそれを固定観念であることに全く気づいていないからこそ固定観念であるとも言えそうです。
そして、同じ固定観念を持っている人同士では、それを暗黙の前提として、通常心地よいコミュニケーションが取りやすいです。
しかし、それは飽くまでも同じ固定観念を前提としたコミュニケーションなので、何か人生が大きく進展するようなブレイクスルーが可能な認識の発展は得ることができない事が多いです。
「Aさんとは話していて心地よいけど、でも特に学びがあるとか勉強になるとか気づきがあるとかそういうのってないな」
と感じる場合がこれに当たると思います。
しかし、一度でもその固定観念を、実は固定観念に過ぎなかったということに気づいてしまえば、無意識に今まで全く検討することすらできなかった解決策やアイデアなどが次々に出てくるようになります。
このような自分の固定観念に気づく→その固定観念を解除する、という過程を経ると、その人の人生のフェーズが少なからず変わってくると感じます。
そのために、まず必要になってくるのは、
その固定観念の反例を本人の目の前に提示すること
ではないかと思います。
例えば、その人の固定観念として、
A=B
という式が成り立っているとします。
そのような人に対して、まずは、
A≠B
という反例を提示するのです。
これを提示すると、その人の中では、固定観念として、
A=Bなのが当たり前
であったことから、一瞬
( ゚д゚)!?
という反応になることが多いです。
これによって、初めて自分の固定観念の存在に気づくことができます。
上の「無職」の例で行くと、おおざっぱに言うと、
無職=やばい
という固定観念を持っている人に対して、
無職≠やばい
という反例を見せるわけです。
このように、その人に自身の固定観念の存在をまずは認識していただくことがかなり重要だと考えています。
もちろん、その固定観念の反例を見たところで、
「いや、それはただの例外。結局、特殊な人だけができる芸当でしょ?(私の場合は無理だよ)」
と考えてしまう人も結構います。
このように、反例を自分に紐付けられず、特殊な例として片付けてしまうと固定観念に気づくことができたとしてもこれを完全に解除することはできません。
したがって、
「私でもその反例になれるんだ!」
と思っていただくための工夫がこれに加えて更に必要です。
例えば、
無職=やばい
という固定観念を持っていた人が、
無職≠やばい
という反例を見せられて、そこで
「無職=やばい、という固定観念が自分の中に存在していた」
ということに気づいた上で、
私=無職≠やばい
という状態に頑張ればなれる、自分でもなれる可能性があると思えるだけの材料やロードマップを提供してあげることができると
「ずっと、無職=やばい、と思っていたけれど、これは固定観念に過ぎなかったんだ!」
という認識になってその人の固定観念が完全に解除されます。
これができると相手の人生を変え得る極めて価値の高い良い仕事になるのではないかと考えています。
逆に、自分だけではなかなか気づくことができない固定観念を打破するためにはどうすればいいのか?という問題意識を自身で持った場合は、
こういう固定観念の反例を見せてくれる人をまずは訪ねてみたり、
全く違う環境、例えば海外などの異文化と呼ばれるようなところに思い切って飛び込んでみて、反例との偶然の出会いに期待するという能動的な行動ができるといいのかもしれないですね。