変化が激しい時代と言われて久しいです。
個人的には、魅力的な人物というのは、色々ありますが、抽象的に言えば「変化率の高い」「変化の速度が高い」人物であると思っています。
男子3日会わざれば刮目してこれを見よ、という言葉もありますが、その人が何らかの形で成長するにせよ何をするにせよ、会うたびに「そういえば、この前こんなことやったよ」とか話すことができる人というのは、自動的に「会えば面白い話をしてくれる人」になるわけですから、また今度も会って話をしてみたいなと思われやすいと思っています。
近年の研究によると、家族と過ごす時間よりも、友人と過ごす時間の方が幸福度が高く、ざっくりいうと友達が多い人の方が幸福感が高いというような話も出てきていますが、この理由としては友達の方が新しい体験をもたらしてくれることから、自分の人生にとって新鮮な時間をもたらしてくれるからという要因が大きいようです。
家族といつも同じように過ごしている場合、ありきたりな毎日が流れていくだけなので、非常に退屈になりやすいという事かもしれません。
逆に言えば、変化率が高い人が家族であれば、いつも何かに挑戦していたりするわけですから、新鮮な気持ちになるのかもしれません。
もっとも、難しいのは、家族の場合は誰かが変化してしまうことによって、他の家族に不利益が生じる可能性、安全な日常が脅かされてしまう可能性というのが出てきてしまうため、「嫁ブロック」「親バリア」のような物が発動しやすく、構造的に家族の場合は変化率が抑制されやすいのかもしれません。
したがって、家族の場合は根本的に変化率が低い集団になりやすい、つまらない集団になりやすいということもありますね。
しかしながら、つまらないと言ってもそれは逆に安定した生活を送ることができているということも意味しますから、一応、家族はしっかりといてくれた方がよく、家族よりも友人という価値観は、家族という盤石な生活基盤を整えた上でのさらなる幸福感を追求するというより上位の幸福感を求めているからこその考え方なのかもしれません。
このように、考えると、家族計画としては保守的な運用、保守的な家族計画を考えつつ、個人としては変化率の高い人物になるという方針をとることによって安定しつつ刺激を得ることができる人生にすることができるのかもしれないですね。
もっとも、悩ましいのは、この方針をとった場合、家族になるべき人の誰かがあまり面白くない人生を送る可能性がある、すなわち一定の犠牲を払う必要が出てくるのではないか、ということです。
というのも、私としては、家族という枠では保守的で安定した関係を創りつつ、個人では変化率の高い人物同士で寄り添い集まるという姿が想像できないからです。
むしろ、このような関係はそれこそ古くからの友人、なんだかんだでずっと親友、みたいな関係になってしまい、やはりそもそも家族って何だっけ?という家族観に揺らぎを感じざるを得ないからです。
やはり、これからの時代のトレンドに合わせて家族観というのは少しずつ変化せざるを得ないのかなと思うところであります。