近年話題になることが多いのが「無敵の人」です。
その意味合いとしては、そもそも失う物がないという意味での「無敵」ということのようです。
例えば、犯罪を起こしてしまうことによって、逮捕されてその社会的地位を失うリスクがあったとしても、そもそも社会的地位がない人にとっては何の問題もありません。
むしろ、犯罪を起こして刑務所行きになった方が安全な場所で生活できるとしてそちらの道を敢えて選ぶ高齢者の方もいるようです。
このような意味での「無敵の人」は、特定の行為によって失う物がそもそもないために本人目線ではむしろ合理的な判断をしているのかもしれません。
そもそもリスクがあったとしてもそれが顕在化しようがないということかもしれませんね。
その一方で失うことによるダメージが少ないタイプの「無敵の人」もいるのではないかと思います。
例えば、金融資産1億円を保有している人が何らかのゲームに参加して仮に負けた場合には保有している金融資産が全て没収されてしまう場合のことを考えてみます。
保有している金融資産1億円を失ってしまうリスクが怖い、よってそのゲームにはそもそも参加するのも躊躇すると考える人もいるでしょう。
しかし実はこの人が単純に金融資産1億円を保有している人というだけではなく、
本人が年収2億円以上を毎年のように稼げる人物であったり、
親から毎月1000万円をお小遣いとしてもらえるような人だったり、
もともと周りの人に助けてもらえるような人物で生活することや人生の楽しみを追求するにあたって金融資産が必要ではない人物だったりする場合だったらどうでしょうか?
その上でそのゲームの勝利によって自分が確実に幸せになれる権利を手に入れられるとしたらどうでしょうか?
このような状況の場合、ゲームに勝利できる可能性がそこそこあれば、ゲームに負けたことによるリスクが顕在化したとしてもそれを許容し得ると考えてそのゲームに積極的に参加する人も出てくるのではないでしょうか?
このような意味でリスクが顕在化してもそのダメージをさして考慮する必要がない場合があるわけです。
いずれの無敵の人の場合であっても、想定されるリスクを負担できる、許容できる、といえる状況であって、リターンの方がそこそこ期待できるようであればそちらを積極的に取りに行くという判断がしやすいと思われます。
人によっていずれの「無敵の人」に近い状況にあるのかは異なるのかもしれません。
しかし、自分の手元の状況を今一度見返してみて、そのリスクを許容できる状況であれば、リターンを期待して積極的に挑戦するという姿勢を検討してみても良いのではないかと考えています。
もちろん、犯罪をすすめているわけではなく、典型的な場合としては、投資、起業や独立などがこれにあたると考えています。
金融資産に対する投資においても「まずは自分のリスク許容度を測ることが大事!」と言われることが多いですが、
これは投資に限らず、人生におけるあらゆる判断に応用できる大事な考え方と言えます。