ついつい毎日代わり映えのない行為を続けてしまっている人というのは多いと思います。
代わり映えのない毎日というのはリスクがない(ということが判明した)行為を毎回続けているという状態になるかと思います。
もっとも、毎日同じ行為を続けているといっても、同じ状態が永遠に続く事が保障されるのかというと実はそんなことはないわけです。
具体的に言うと、①私たちは時間の経過とともに老い、寿命が、人生の残り時間が減っていきます。
また、②社会的な事情によって、当たり前の毎日が突然終わってしまう可能性もあります。具体的には、会社が倒産しリストラされる、などです。
①はほぼ確実に訪れる事象です。あまりにもゆっくりと進行してしまうために、その恐ろしさに普段は気づきません。
私たちが自分自身の「死」について普段はほとんど考えることなく、しかし、時折ふと思い起こしてみるとなんとなく恐ろしい気持ちになってしまうのと同じような感覚かもしれません。
しかし、①についても普段は全く考えなかったとしてもあるときふと真剣に思い返してみると、「本当に大丈夫なのか」「このまま何も起こらずに終わってしまって良いのか」と思うものです。
むしろ、何も変わることのない行動をし続けて寿命が尽きてしまうとしたら、その人生は振り返ってみてなんだったと言えるのでしょう?
私は人生の最終期に自分の人生を振り返ってきたときに、「23歳から70歳まで●●会社に勤めていた 以上」で終わるような自伝は見たくありません。
どう考えても面白くないからです。
したがって、そんな「なんか、私の人生全体的に見てつまらんな・・・・・・」と未来の自分に思わせてしまい、ゲンナリさせてしまうような行動は避けたいと思っています。
また、②についても当然考える必要があります。
散々色んな書籍で出ているように、ほとんどの人の仕事は奪われることが予測されていますし、今の状態が未来永劫続くとは考えない方が無難といえるでしょう。
すなわち、このような認識でいると、リスクを取らないことがリスクという話になってきます。
もっとも、普通の人はリスクを取ることが非常に苦手かと思います。
これは変化に対する恐れの気持ちがあり、これを乗り越えることができないからでしょう。
変化に対する恐れというのは本能に基づいているのですからなかなか克服するのは大変かと思います。
したがって、もともと慎重派を自負している人は特に、「リスクを取るための訓練」をする必要があると考えています。
具体的には、本当に些細なことで大丈夫なのです。
いつもと違う食べ物を食べてみるだとか、いつもと違う帰り道を歩いてみる、だとかです。
本当に些細な違いをもった行動を行うだけで私たちの運命は少しずつ変わっていきます。
このような行動の集積がいつしか、リスクをとり続ける習慣になったとき、リスクテイカーとしての習慣が、性格となり、運命を変えるのです。
これを自分で意識して行う事ができたらそれはすなわち自分自身で運命を操ることができるわけで、挑戦するだけの価値があると考えています。
いわゆる、大きな決断である転職や結婚、離婚、引っ越し等はなかなか気が進まず、先に進むことができないことが多いわけですが、いきなりこんな凄まじい大リスクを伴う行動から始めなくても、少しずつ小さなリスクをとっていく練習を行う事がトレーニングのために重要になってくるのだと思います。
私が最近気をつけていることとしては、仕事上では、ほんの少し見直すべき項目について考えてみてそれを実行してみる、とか、普段話しかけない同僚にも話しかけてみる、だとか、ちょっと返事の仕方を変えてみる、とかそんなあたりです。
あまりにも小さすぎる取り組み故に、このような取り組みは「本当にやってて意味あるのかな?」と思いがちな部分もありますが、一般的に良いとされている行動についてはめんどくさくても積極的にリスクを取っていくだけでもあるときそれらしい成果が出てくるのではないか、と考えながら取り組んでみています。