結論から言うと、思っていたよりも今期のボーナスの額が少なくて非常に萎えています。
私の個人的な評価ではなく、景気動向によるボーナスの額の設定のようですので、正直萎えますね。
改めて考えると、ボーナスというのはまず第一次的には景気動向により勤め先全体の業績によってある程度上限が決まります。
そして、第二次的に勤め人個人に対する評価によって多めか少なめの額がというのが決まります。
というか、そうせざるを得ません。
このような構造を考えると、改めて自分自身の勤め先に対して捧げる努力というものがあまりにも非力なことを実感します。
一生懸命に勤め先に忠誠心を持って頑張っていたり、単に人からの頼みを断るのが苦手な人とがいるようですが、
頑張ろうがなんだろうが、景気動向、というか勤め先そのものの実力によって勤め人のがんばりが報われる程度というのは自ずから頭打ちになります。
その中で、大した差もないボーナスの額で競わされている訳です。
正直バカバカしいというのが感想です。
このような特定の企業という狭い場所でしか通用しない他人からの評価のために一生懸命になっても報われる可能性というのは低いです。
それよりも、どんな場所でも通用するようなスキルを手に入れるための努力を惜しまないことの方が重要だと感じます。
そのために重要なのは、ポケモンで言う努力値稼ぎと同様に
「どんなステータスを得るためにどんな行動を取るのか」
という視点でものを考えて、勤め先の仕事を選べるようにするということです。
ポケモンでもそうですが、特定のステータスを努力値稼ぎで高めるためには闇雲に敵を倒して経験値を得るだけでは足りず、特定の敵を集中的に倒したり、適切な薬を投与するなどの工夫が必要になります。
その時々で伸ばすべきステータスというのは変わるため、柔軟に仕事を選択できる余地をなるべく残しておくことが重要でしょう。
それと並行して、仕事をしている際に「今なぜ私はこの仕事をやっているのか、この作業には長い目で見て一体何の意味があるのだろうか」ということをより抽象的にしっかりと考えることが重要になります。
しっかりと考えて意味があるのであれば一生懸命やるべきですし、考えても意味が感じられないのであればバッサリと切り捨てるという意思決定が必要になります。
今の勤め先の全ての仕事が自分にとって意義のないものだという話になったらもうやめた方がいいような気がします。
そして、少ないボーナス額を目当てに勤め先の仕事を頑張るというのはあまり意味がないということが今回よくわかったので、やはりお金を稼ぐということに関しては自分である程度何とかするのが1番精神衛生上良いということがはっきりと分かりました。
今回の現象を踏まえて改めて勤め先に対する姿勢、方針が固まってきたような気がします。
これから、社会人3年目としてさらにいろいろな活動を頑張りたいと思っていますが、やはり、天に運を任せずに、主体的に、自律的に人生を歩んでいくという強い気持ちが改めて大事になりますね。