「もう自分の人生のピークはすぎてしまった」
ということを暗に漏らす人がたまにいます。
かなり年配の方ならばまだわかるのですが、偶に20代でもこのような方がいるのでびっくりしてしまいます。
そして、自分よりも若い人に対して「若くて良いよねー」というようなことを言い始めるのです。
私もこのようなことを言われたことがありますが、20歳近く離れた人から言われるのであればまだしも2歳ぐらいしか変わらない人に言われるとものすごく違和感があります。
もう自分はダメだから後身に譲ると言わんばかりの発言を聞くと、違和感があります。
大学生の先輩後輩のように客観的に見ればどう見ても大差が無い間柄でこのような会話が為されているのを見ると、「この人はなんて狭い世界で生きているのだろう」と思わずにはいられません。
正直に言うと、「今の自分がピークである」というのを何らかのサインとして発信している人を見ると、「もう自分には伸びしろがない」という自己認識を拾ってしまうのでその人に対して魅力を感じられないのです。
むしろ、今の自分はまだまだ伸び盛りであるという自己認識を発信してくれた方が、「この人はまだ頑張ろうとしているから、これからの将来が楽しみだ」と思えるのではないでしょうか。
そして、そのように未来のさらなる飛躍を遂げた自分を信じることができる人こそに私たちは魅力を感じることができるのではないでしょうか?
男子3日会わざれば刮目してこれを見よ、という言葉がありますが、この言葉がふさわしい、目的に向かって常に成長し続ける人こそ魅力ある人物ではないでしょうか?
他には、自分を諦めてしまっているから、それゆえに子供に自分の期待を託そうとする人もいますね。
自分の教育費には大して投資をしないのに、自分の子供には教育費、金だけをどんどん投入して塾に行かせたり勉強をさせたりしているわけです。
勉強という自分がやるのにはちょっと億劫になるような努力や苦行を子供という他人にやらせることで子供に自分ができなかったことを果たして欲しいと考えている人も偶にいると思いますが、これは子供の立場で考えると純粋に迷惑ですし、なんで親本人が勉強する気が全くないのに子供にだけ勉強させようとするのだろうかと思われてしまうのではないでしょうか。私が子供の立場であったらそう考えると思います。子供の目から見て魅力の無い親になります。
やはり、第一に自分を高めようとする努力を怠らない、自分のこれからの未来に対する成長度合いに期待するという気持ちが大切になるのではないでしょうか。
これは人生100年時代において、より長期的なスパンでより幸福に生きるため、魅力ある自分を創り出すための基本姿勢ではないか、と考えています。
どうせだったら、株価のように、人生の前半期でピークを迎えて後はひたすら停滞したり落ちていくばかりの悲しいチャートを描くような人生ではなく、社会の成長のように、少し落ちたり停滞はすることはあれど長い目で見ると右肩上がりのチャートを描くようなそんな人生を目指したい物です。