冬はやたらとテンションが下がりやすい季節ですね。
春のように綺麗な花が咲くわけでもなければ、
夏のようにすくすく植物が育つ様を目の当たりにすることもなく、
秋のように、収穫物をとることができるわけでもありません。
何も育つことのないまま数ヶ月を経て再び種まきの季節を待つ必要があります。
ところで、畑仕事においては、種まきをしなければ、当然収穫の時期になっても育ったものを収穫できないわけですが、
種まきの前に行う「土壌作り」においてしっかりと、土を創っておかないと、より良い収穫物に育たないようです。
そして、この「土壌作り」は冬の時期から春先にかけて丁寧に行うことが重要になるようです。
というのも、種まきをしてしまった後には、肥料を追加で与えることは可能でも、土そのものを創ることは困難だからです。
そう考えると、冬の季節の間にしっかりと「土壌作り」を行うことが、より良い収穫物を秋において得るためにも重要のようです。
これは人生においても似たようなことも言えるのではないでしょうか。
華々しい成果を上げた成功者は、あたかも、突然綺麗なステージに立ったかのように見えますが、そのためには、何年もの努力を行っています。
何年も頑張っているのにもかかわらず、成果が出ない、ということもあるでしょう。
そのような成果が出ない中でも、ずっと頑張って種まきをして、それを丁寧に育てることができたからこそ、ようやく実りある季節に収穫ができるわけです。
とはいえ、似たような努力を同じ分野で続けていたからと言っても、同じような成果が誰にでもできるわけではありません。
おのずと、個人差というものがでてきます。
では、このような個人差というのはどのような要因で出てきてしまうのでしょうか?
単なる運でしょうか?
才能でしょうか?
それとも、地頭というやつでしょうか?
例えば、資格試験について考えてみましょう。
資格試験というのは適当にぐぐっていただければ分かるとおり、目安の勉強時間●●時間というのがだいたい書いてあります。
しかし、よくよく合格体験記のようなものを調べてみると、
「●●という試験、試験直前の3時間適当にテキストを眺めていたら受かった」
などというものも出てくるわけです。
もちろん、これ自体が誇張だった、大げさだったという可能性もありますが、
おそらく、本当に「●●という試験をよし対策するかと思ってから短時間で対策が終わる人」というのは存在します。
これは、例えば、●●という試験において、実は大学数学の線形代数の知識が必要だったという場合であれば、もともとそのような学習をやっていた人ならば、その部分を改めて勉強し直す必要が全くないため、スキップして残りの学習をすればすみますが、そのような学習をやったことが無い人はその勉強を一から始めるところからやらないといけないわけで、その分の必要になる学習時間というのは確実に増えます。
極論を言えば、このブログを見ている人は加減乗除の計算は余裕でできると思われますが、それを学習したことの無い人が簿記3級に受かるためには、まずは簡単な足し算、引き算、かけ算、割り算、すなわち加減乗除の計算をする方法から学ばなければいけないということになります。
このように、最初からその人が既に身につけている、「隠しステータス」のようなものがあります。
このようなことがあるため、例えば、資格試験の合格体験記のようなものを見る場合には、「隠しステータス」のようなものがどこまであることが前提で語られているのかという点に着目することが重要でしょう。
これをわからずに、短期間でも試験を攻略できると思ってしまうと、足下をすくわれる可能性があります。
資格試験以外の例で言うと、スマホのアプリケーションのパフォーマンスの問題もあるでしょうか。
例えば、同じアプリケーションをインストールして、何かの仕事をしようとします。
この場合、同じアプリケーションなのだから同じように動くはずなのですが、
何年も前に発売されたiPhoneと最近発売されたiPhoneXでは、その性能に大きな差があります。
iOSのバージョンも違うと思われるため、バグ対応にも差があり、同じアプリケーションをインストールしたとしても、動きがさくさくするのか、のろのろするのかという違いが出てきます。
昔のiPhoneを使用すると、アプリケーションが頻繁に落ちるということも有り、仕事にならない場合もあります。
このように、同じ内容のアプリケーションを使ったとしても、そもそもの使用しているデバイスのスペックという「隠しステータス」によってパフォーマンスに差が出ます。
iPhoneの例を見ると、「隠しステータス」が才能や地頭の差のようなものに見えるかもしれませんね。
しかし、iPhoneの場合はある程度の金額を出せば、この「隠しステータス」を買うことができます。
似たようなことは生活家電にも言えて、最新の家具を購入するだけで一気にパフォーマンスを上げることができます。
私は、最近、10年間使っていたドライヤーを処分し、そこそこの値段のするドライヤーに買い換えました。
買い換えた方が明らかに髪の毛を乾かす時間が短くなりましたし、髪の毛がしっとりとした仕上がりになり、満足しています。
家電のスペックを向上させるだけで、髪の毛を乾かす時間が短くなったのは特に大きな収穫だと思います。時間は有限ですからね。
このような地味すぎる「隠しステータス」をどこまで種まきの前に高めることができるのか、というのが土壌作りのポイントになるでしょうか。
人生における種まきというのは具体的な分野における取り組みのような物だと思います。
上の例で言うと、資格試験そのものや、アプリケーションそのものということです。勤め人であれば、具体的なプロジェクト企画そのものかもしれません。
これらは、具体的な成果に直接結びつくものであるために、みんな取りあえず色々情報収集の上で頑張ろうとします。
しかし、案外重要なのは、それ以前の「土壌作り」の部分になるのではないかという話です。
上の例で行くと、小学生レベルの四則演算、線形代数の勉強、iPhoneのアップデート、最新スペックへの買い換え、家電の最新機種への買い換えなどの行為になります。
このような「土壌作り」を怠らなければ、種まきをした後の収穫までのスピードや質が高まることは間違いが無いと思います。
問題は、「土壌作り」をしたところで、基本的に目の見えた成果というのはそれだけでは全然出てこないと言うことです。
小学校や中学校で「この勉強って何の意味があるの?」となっていた人は多いと思いますが、何故やっているのか、やったほうがいいとされているのかが事前に分かっていなければ当然やる気は出ませんし、しかも金を払って最新機種を買う場合はともかく、能力やスキルのようなものは目に見えた成長というのが見えにくく、端的に言うと心が折れやすいです。
スランプやプラトーのようなものを感じやすいが故に、
「てか、もういいや、結果でないし」
という風にもなりやすいというのが罠です。
また、そもそも「土壌作り」に力を入れていると言うことはその間は種まきはできないと言うことですから、当然その分の収穫も先延ばしということになり、「土壌作り」にフルコミットした場合に、そのまま飢えて死ぬ場合もあります。
これは具体的には、夢を持って会社を退職して、新しい分野の大学院進学のための受験に再び挑戦するために1年間受験期間としてバイトもせずにひたすら勉強し続けるようなものです。
1年間フルコミットで勉強できるだけの金銭的余力を予め作っておかなければ、受験勉強という冬を耐えている間に死ぬ可能性があるわけです。
アリとキリギリスではないですが、前年の秋において収穫した物の中で、その時のためにしっかりと楽しむのはいいとしても、次の「土壌作り」や「種まき」以降のための余剰はしっかりと収穫した分から消費することなく準備しておくということも重要でしょう。
秋において収穫物が大量に手に入ったからと言って調子に乗ると、その後に死ぬ可能性があるので、調子に乗りすぎてはいけないと言うことですね。一発屋の人は大抵この辺りでミスって沈んでいくわけです。
金融資産の資産形成にも同様のことが言えますね。その月にもらえる給料をその月に全部消費してしまうと自転車操業のようになり、そのうち詰むことになるわけです。アリとキリギリスのバランスを取ることが必要です。
このように、秋の収穫の時期に手に入れた「貯金」を浪費せずに、冬の季節には、しっかりと「土壌作り」に励むことで、次の春の種まきが秋において活かされることとなり、人生がどんどん好転していくのだと思います。
私は、最近のブログで「人生の土台作りを頑張りたい」という趣旨の記事も上げていますが、これは要するに畑仕事における「土壌作り」というところに位置づけられるのだと思います。
具体的には、健康に気を遣ったり、自分の住環境を整えたり、より良い習慣を身につける方法の模索だとかがこの「土壌作り」に当たるのだと思います。
はっきり言ってしまえば、これをやったところで目に見えるすごい成果というのは全然出ませんし、実際に出ていません。
「種まき」を本格的に今後する必要があるでしょう。種をまかなければ収穫できないのですから。
しかし、来たるべき未来のために頑張れているのだなと思うだけでもなんだか嬉しい気分になれるのです。