お金のために勤め人として勤労しないといけないとなると、タイトルのように、年14回ぐらいしか楽しい日がないという人が多いのではないでしょうか。
年14回ぐらいというのは端的に言うと勤め先からお金がもらえる給料日+夏期冬期ボーナスのことです。
もちろん、「ボーナスなんてうちは無いんだけど」という人もいますし、それどころか給与が未払いになってしまっているところなんてそれどころじゃありません。
そのため、年14回ぐらいという非常に曖昧な書き方をしています。
お金のために割り切って労働をするとこのような事になると思います。
もちろん、早期に経済的自由を達成してしまってさっさとFIRE、勤め先からの退職をすることを夢見ている人はこのような割り切りをする覚悟は既にできていると思います。
そして、そのような来たるべき素敵な未来を夢見たり、妄想したりすることがそれ自体楽しくて、それが現在における生きがいのような形となって勤労にいそしんでいる人もいるかもしれません。
もっとも、このような人は端から見ていると、「未来のために現在を捨てている」ように見えるということは否定しがたいところもあるかもしれないです。
節約による資産形成を行う事その物に対しても、この辺りの考え方は別れるところです。
将来における安心感やFIREなど、輝かしい未来を夢見て、そのために現在を我慢し、節約をするという側面は一部あるのかもしれないからです。
このように、未来を取るのか、現在を取るのか、その比率をどうするのか、という辺りは私たちにとって非常に悩ましい問題だと思います。
これは特に「現在」として我慢するべき期間が非常に長い場合は悩ましいですよね。経済的自由の達成に関しても高給取りの人の方が一般的に達成までのスピードが速いため、節約など、本気で我慢すればするほど我慢する期間そのものを短くすることが可能になるわけで、このような達成までのゴールまでの期間を比較的短くしやすく、モチベーションを維持しやすいというのも高給取りの人のアドバンテージ、強みになっていると考えられます。
完全に未来一択、そのために現在はすべて我慢しても一向にかまわないという考え方を取った場合、資産形成のため、お金のためにまずは勤労するということになり、上記の通り、何も工夫しないままだと年14回ぐらいしか楽しい日がないという年月が続くことになります。
さすがに年14回ぐらいしか楽しい日がないとなると「何のために生きているのか不明」と感じてしまう虚しい日が多くなってしまうので、このような人は仕事のやりがいを諦めるとすれば、プライベートにおいてはお金を使わない趣味を開拓することによって、楽しいと感じる日を増やすのが良いという話になると思います。
私のおすすめとしてはやはり日記を書くことだと思います。
日記を書くことによって、取りあえず何かを書かないと行けないという強制力が働くので、日常的な事に関しても感度が高まっていきます。
そして、このような感度が高まったことによって、一見無味乾燥な日常に対しても自分自身によって何かしらの意味を与えることができ、それ自体が創造性に繋がっていき、楽しい日を作ることが可能になるのではないかと考えています。
何よりも日記を毎日書くことで、日記の内容そのものが増えていくのでそれが満足感にも繋がります。
私の場合は、あとは部屋の家具の配置換えを試みたりすることがあります。引っ越しなどをする場合はお金もかかるので負担感が重いのですが、家具の位置をちょっとだけ変えてみるだけでも新しい発見があったりするので、それも楽しいです。
具体的には、私の今の生活上ではクローゼットが不要であるということを発見しました。
もともと、部屋の中の物自体が少ないので位置を変えるのにも大きな労力がかからないという事情もここにはあります。
あとは、勤め先の仕事において、最近は引継ぎのことを意識して仕事をしています。
すなわち、私が経済的自由を達成して、「FIREします!」となる場合、退職することになるので、当然「じゃあ、引継ぎやってよ」という展開になることが予想されます。
引継ぎをするということは、今私が担当している仕事について何も分かっていない人に対して色んな事を説明する必要が出てくるわけで、いざそのような時が来てしまった場合、非常に時間がかかることが想定されます。
正直、想像しただけでもちょっと面倒だなと感じています。
したがって、マニュアルとまでは行きませんが、ある程度内容が把握できるように別にメモを残したり資料を残しておくように工夫をすることが多くなってきました。
このような取り組みをしていると、「これで私がいつ退職しても大丈夫だな」という気分になってくるのでちょっとテンションが上がってきます。
それに伴ってどのような人にさりげなく引き継ぎたいのかという視点で同僚を見ることにもなりますので、さりげなく後輩に私の仕事を少しずつでも触らせるようにしたりだとかするようにもなりました。
これは勤め先を辞めるときに備えた取り組みという側面もありますが、それに加えて個人的に仕事においても自分なりにちょっと工夫しているなと感じられるようにもなっています。
もしかしたら今のようにいつでも退職することを視野に入れた仕事の仕方をすることによって普通に言われるがまま働いている人に比べて創造性が高まっているのかもしれません。
仕事にやる気が無い人ほど、仕事の仕方を何かと工夫していたりする物ですが、今の私もそのような状態に近いのかもしれませんね。
話が完全にそれてしまいましたが、勤め先の仕事というのは基本的につまらない仕事が多いので、お金を貯めるためだとかそういったことのために働くと単純計算で年14回ぐらいという極めて少ない日数しか楽しみ、喜びを感じる機会がないということになりますので、自分自身で楽しみを見つけ、工夫することによって楽しい日を増やしていくことが未来と現在の楽しみや喜びを両立したい場合には重要になりそうですね。
これは自分の日常生活における状況を如何に解釈するか、どのような目で見るのか、リフレーミングの技術に通じるところがあります。
Aさんが見た事実とBさんが見た事実がたとえ同一の物であったとしても、どのような解釈をするのかによって、無味乾燥な事実のままで終わるのかそれともそこから楽しみを発見できるのかという差が出てきます。これがその人の幸福度に直結します。
日常生活において、あらゆる分野、あらゆる対象においてこのような状況解釈力を磨くことで「楽しい日」を増やせるのであればそれは人間が幸福になるための立派な能力の一つなのではないか、と考えています。