改めて、勤め人として、特定の企業に所属していると、「この労働所得を資産所得のように変えることができないのだろうか?」と考えることがあります。
通常、給与所得を初めとした所得は、労働を対価とする物であり、そのように考えると、必然的に労働時間の長さに応じて所得が比例していくことが想定されていると思われます。
もちろん、最近は働き方改革などによって残業は奨励されていないですので、定時で帰るのが基本という建前にはなっていますが、基本的に勤め人は勤め先に自らの寿命、時間を捧げるタイムワーカーであるといえるでしょう。
しかし、例えば、役員などは、役員報酬という形で報酬をもらうのであって、そのような人たちは別に出勤する必要は無く、必要な時に必要な活躍をするだけで済みます。
場合によっては、その企業に所属するだけで価値を提供することができる人というのも存在しており、そのような人は時間を対価に報酬を受け取っているのではなく、存在価値の提供により報酬を受け取っていることになります。
そのような人は他のフィールドで価値を高めた上で、その企業に所属することで、存在価値を提供しているということになります。
もちろん、そもそも自分自身の価値を高めておかなければそのような良い待遇には巡り会えないということではありますが、ただの労働者の立場であっても、時間をかけて、労働所得をそのように不労所得化することができないのか?という視点を持っていることは重要ではないか、と考えています。
すなわち、仮に、勤め先からの所得を事実上不労所得化することができたら、あるいは少労所得化することによって、金融資産無くして、事実上セミリタイアすることも可能ではないか、と考えています。
しかし、私の意見としては、不労所得化と言っても、その企業にとって価値のある人物になれるかどうかが最重要だと考えており、決して窓際社員のように「特に存在価値はないものの、労働法制上追い出しにくいから取りあえず置いているだけ」という存在になることを意図するわけではありません。
窓際社員のように、勤め先からの所得を不労所得化している人たちは一見羨ましいですが、それは現状の解雇しにくい労働法制化や日本の文化という特殊な条件の下で初めて可能な物であって、それによって逃げ切りを図れる人は良いのですが、今の20代ぐらいの若い人たちはそのような僥倖を期待しない方がいいと考えています。
明らかに、雇用の流動化という文脈で、労働者を解雇しやすい制度に変わる流れが出てきているので、終身雇用の期待は基本的にしない方が良いでしょう。
さて、その職場にいるだけで存在価値を出せる人はどんな人なのか?何があったら自分のような凡人でもそのような価値を出すことができるのか、ということを真剣に考えることが重要です。
これは、その職場において何らかの形でオンリーワンの存在になるということを意味するのであって、それは単に「趣味が面白い」とか「キャラが立っている」というレベルの話ではなく、その人にしか思いつきもしない意見を出せるだとか、企業にとって明確にメリットになる形でその人の個性と紐付いた価値を提供できるようになる必要があります。
したがって、存在価値を提供する前提として、自分の個性を練り上げる必要が出てくると思います。
とはいえ、よく個性は大事だとか言われますが、ほとんどの人の個性は埋もれたままであることが現実だと思います。
何故かというと、他の人と同じような思考、すなわち常識だとか、普通の考え方をしている人というのは、行動も他の人と同じような行動をしているため、潜在的な個性が仮に存在していたとしても、他の人と同じ行動や思考パターンから抜け出せず、その人唯一の個性を磨く機会が訪れないためです。
したがって、そもそも世の中の大多数の人と同じ発想からさっさと脱する必要があると思います。
そのために、必要になるのが、孤独になる力でしょう。孤独になることを恐れている人は他人に合わせざるを得ないので必然的に個性を発揮できません。
そして、孤独になることを恐れている人というのは、要するに、特定の社会や群れから離れたら自分の生存確率が低くなることを本能的に悟っているため、自分の生存確率を上げるために特定の群れからどうしても離れられないのです。
逆に言えば、たった一人でも、孤独でも、自分の生存確率が低くなってしまうことはないという強い確信こそが、その人を孤独へと誘うのでしょう。
じゃあ、どうすればそのような確信を得ることができることができるのか、という重大な問題がここで立ちはだかりますが、一つの方法としては逆説的ですがやはり経済的自由を達成してしまうことだと思います。
私の実感としても経済的自由の達成の程度が上がれば上がるほど、自分なりの信念が強まり、それに沿った行動や思考を行う機会が増えたと思います。すなわち、きっとこれは普通の人は思いつかないだろうとか、この意見は皆考えていないだろう、あるいは、何かしらの理由でこの意見を表明することはみんなできないだろう、ということもどんどんアイデアとして頭の中に浮かんでくることが増えてきたのです。
経済的独立無くして真の個性は発揮できない、と言われることがありますが、この意味でも経済的自由を目指すことは重要です。
他の方法としては、やはり特定のコミュニティーに依存せずに、多数のコミュニティーへの所属への分散を行う事でしょう。
そのような人は、いわゆる、コミュニティーの分散投資を行っているため、「自分はいつでも特定のコミュニティーに所属することができる」という自分の能力への確信こそが生存確率への安心感につながり、逆に、孤独の時間も大事にすることができるようになります。
このように、個性を練り上げる機会を確保するための準備を普段から行う事がまずは第一歩として重要では無いか、と考えています。